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連載コラム ◇ 大学生活の新しい選択肢。自分が「海外インターン」を選んだ理由。Vol.4「困難に打ち勝つ努力とインドに残せた成果」


記事を寄稿していただいてるのは、本学法学部4回生の古川浩康さん。
20111年の4月から10月までの間、アイセックを通じてインドの現地アパレル企業にて海外インターンシップを行った。海外インターンを通しての知見や考え、また他の海外機会にはない醍醐味をお伝えいただく。

過去の記事一覧
第1回 – 連載開始にあたって
第2回 – なぜ「インターン」か
第3回 – 海外で働く困難
第5回 – 帰国後の活動とインターンの総括

こんにちは、法学部4年の古川です。海外インターンについて書く記事も4回目、既に自分の記事を何度か見ていただけた方もいるかもしれません。今回は前回書いた仕事の中での困難にどう打ち勝ったのか、そしてその結果として自分がインドに何を残せたのかについて書けたらと思います。

~~~~~~~~~~~(前回まで)~~~~~~~~~~~
国際会議で海外の優秀な若者と接したことによって、自分と日本の若者に危機感を感じ、

「外国人と仲良くなる」ではなく「外国人と仕事をして成果を出す」経験をする
自分だけの経験で終わらせるのではなく、発信の機会を持ち他の人の意識啓発をする

の2つを目標に掲げ、自分は海外の企業で一定期間働く、インターンシップに参加しました。

自分が働いていたのは以下の会社です。

【名称】Pawan Enterprises (40年以上の歴史を持つ、インドでは比較的老舗の企業)
【場所】インド・ジャイプル (インドの北西、タール砂漠の入り口にあります)
【業種】婦人服・家庭用品の製造 及び 日本への輸出
【従業員数】400人 (全員インド人、日本人0人!)
【使用言語】英語、ヒンディー語

この会社の中で、自分は主に

・日系企業への営業活動
・顧客との生産調整

の2つをインターンとしてやっていました。

しかし、以下3点の問題から、当初の自分は全く会社の戦力になっていませんでした。

①ジャイプル特有の厳しい環境
②日本人と全く異なる考え方・価値観を持つインド人
③本格的なビジネスの経験のない自分
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

逆境を乗り越える

インターンとはいえ他のインド人スタッフと同じ程度の給与をもらっていながら、また上司も新たな受注獲得に期待してくれている状況の中で役に立てていない状態に悩む日が続きましたが、その中で自分は以下の改善に取り組みました。

①足りない知識を徹底的なインプット

→自分はアパレル (特に女性服) の知識が全くない状態でしたが、取引先は何十年もこの業界で活躍されてきたような方も珍しくありませんでした。そうした方々と製品の話をできないと仕事にならない状態だったため、まずは知識を頭に入れることから始めました。

具体的には、仕事が終わった後にネットを使って毎日2~3時間ほどアパレル用語から縫製知識、貿易知識、エスニック婦人服の日本での流通にいたるまでを調べ、分からない所は上司や同僚のインド人の方に聞いていきました。最初はB/L、L/C、天幅、というような基礎知識すらなかった自分でしたが、2ヶ月3ヶ月と経つうちに、お客さんとの商談に困ることが少なくなっていきました。

アパレル用語集 (Fashion-Heart.com) http://www.fashion-heart.com/term
縫製専門用語使い (Fashion Biz Navi) http://www.fashionbiznavi.org/fbIndustry/apparel/sewingWord

(お世話になったサイト達です。 受験生のように、ひたすらノートに書いて1つ1つ覚えていきました。覚えた用語は全部で数百に及びます。)

 

②自ら上司・同僚にコミュニケーションを取り、巻き込んでいく

→自分はこの会社の中では、インド人400人の中に居る唯一の日本人であったため、最初は完全に「異質な存在」でした。容姿も違えば文化も違い、ヒンディー語を話せない自分は周囲の人に上手く馴染むことができず、それが仕事にも影響していました (※ 営業の仕事は持ち帰ってから検討する際、特に技術職の多くの同僚の協力が必要です) 。

どうすれば周囲のインド人の上司・同僚と良好な関係が築けるかを考えた結果、

①自分から「現地の言葉を使って」コミュニケーションを取りに行くこと
②自分の仕事を完遂してから「提案」していくこと

が必要という結論に至り、それを実践していきました。

具体的には、業務知識の時と同じく仕事の後にヒンディー語の学習に取り組み、毎朝・毎夕に同僚と会うときは必ず自分から話しかけるようにしました。もちろん自分は大学時代にヒンディー語を勉強したことは全くなかったため (たぶん外大以外では学べない気がしますね 笑) 、単語をつないだだけの簡単なものでしたが、それでも周囲は徐々に自分に対して心を開いてくれるようになっていきました。

また、言われた仕事を終えた後に、自分から新規営業先やアプローチ方法などを提案していくことも行いました。最初は受け入れられないこともありましたが、何度もリストを作り直し、また手紙を使った営業などを提案した結果、仕事への熱意を認めてもらい、会社の一員として扱ってもらえるようになりました。

 

←最初はちょっと怖かったコワモテな同僚の人達も…

 

↑仲が良くなると、こんな笑顔を見せてくれるようになりました☆

 次ページ 受注までの地道な努力


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