記事を寄稿していただいてるのは、本学法学部4回生の古川浩康さん。
今年の4月に始まり10月までの間、アイセックを通じてインドの現地アパレル企業にて海外インターンシップを行った。
海外インターンを通しての知見や考え、また他の海外機会にはない醍醐味をお伝えいただく。過去の記事一覧
第1回 – 連載開始にあたって
第2回 – なぜ「インターン」か
第4回 – 困難に打ち勝つ努力とインドに残せた結果
第5回 – 帰国後の活動とインターンの総括
こんにちは、法学部4年の古川です。
海外インターンについて書く記事も3回目、今回は実際に自分がどんな仕事をしていたのか、その中で何が大変だったのかについて書けたらと思います。
少し前回までのおさらいをしますと、自分は国際会議で海外の優秀な若者と接したことによって、自分と日本の若者に危機感を感じ、
・「外国人と仲良くなる」ではなく「外国人と仕事をして成果を出す」経験をする
・自分だけの経験で終わらせるのではなく、発信の機会を持ち他の人の意識啓発をする
の2つを目標に掲げ、自分は海外の企業で一定期間働く、インターンシップに参加しました。
経済成長著しいインドでのインターン
まずは、自分のインターン先の紹介から。
日本と異なる厳しい環境、かつ経済的に成長している国をインターン先に選びたかった自分はBRICs (ブラジル、ロシア、中国、インド) を視野に入れて受け入れ先を探し、最終的には以下のようなインドのアパレルメーカーに決めました。
【名称】Pawan Enterprises (40年以上の歴史を持つ、インドでは比較的老舗の企業)
【場所】インド・ジャイプル (インドの北西、タール砂漠の入り口にあります)
【業種】婦人服・家庭用品の製造 及び 日本への輸出
【従業員数】400人 (全員インド人、日本人0人!)
【使用言語】英語、ヒンディー語
↑ジャイプルの位置 (黄色の星印) ↑ 勤務先の本社オフィス
自分の会社は主にインド綿を使った女性服や家庭用品の製造と輸出を行っています。30年前の創業以来売り上げを伸ばしてきており、直近では日本円にして10億円近い売上高を計上しています。
しかしこの企業、おもしろいことに売り上げの85%近くが日本への輸出で賄われています (働いているのは全員インド人なのに 笑)。大阪市立大学からもそう遠くない心斎橋にも、この企業で作られた服が日本の卸業者・小売業者を通してたくさん出回っているのだとか。
そう考えるとなんだか世界が急に小さく見えてきますね。
就労体験に納まらない本物のビジネス
この会社の中で、自分は主に
・日系企業への営業活動
・顧客との生産調整
の2つをインターンとしてやっていました。
具体的には、今後インドに進出してきそうな日系繊維業者を探し出して電話やメールでアプローチし、実際に会って自社の製品を取り扱ってくれないか交渉したり、契約をもらった顧客 (特に日本人デザイナーの人) と生産担当の同僚 (インド人) の間にたって、どのような商品にするのかをイメージから詳細な寸法までを話し合って決めていったりしていました。
↑実際に働いていた生産担当の同僚です。
自分が顧客から要望を聞いて、彼らに英語 (たまに拙いヒンディー語) で説明していました。
とはいえ、自分は大学生なのでアルバイトくらいしか働いた経験がない身。英語は多少話せるものの、現地のヒンディー語なんて全く知らず、またアパレルの知識は全くありませんでした (自分は法学部なので、ビジネスの知識もほとんど無し 笑) 。当然のように、インターン開始当初は全く使い物にならない状態でした。
「インターン」と聞くと多くの日本人学生が思い浮かべるのは、就職活動でありがちな会社説明と簡単なワークを混ぜたものかもしれません。おそらく多くの国内インターンでは、自分のミスが会社から自分への評価以外に降りかかることは少ないでしょう。しかし、アイセックの海外インターンでは多くの学生が果たすべき責任を持って仕事に取り組みます。
↑ 自分が企画から携わった商品
インターンを行う上で、特に自分が困ったのは以下の3点です。
①ジャイプル特有の厳しい環境
ジャイプルは砂漠の入り口に位置していることもあり、最高気温が50度 (!) を超えることもざらにあります。また、ゴミ処理のシステムが上手く稼動していなく、衛生状態もお世辞にも良いとは言えない状態でした。そのため、体調を維持することが日本に居る時と比べ、格段に難しい場所でした。 最初、ジャイプルに到着した際、「本当にこの土地で自分は生きていけるのだろうか」と思ったことを、今でも鮮明に覚えています。実際あまりの暑さや食べ物の違い、衛生環境から、到着1週間後にふと気づくと体重が5キロも落ちていました (汗
②日本人と全く異なる考え方・価値観を持つインド人
日本人は和を尊ぶ民族である、というふうにしばしば言われますが、インド人の性格はその真逆で個人を重視する傾向が強いです。仕事をしていく中で意見が対立した際にこうした考え方の違いから、「相手がなぜ反対するのか理解ができない」といったようなトラブルが何度も起きました。
具体例をあげるとすれば、インドでは上司の権限が日本に比べて (まだ自分は日本で就労したことがないので恐らくですが) 非常に強いです。上司の言葉が誤解を招いて仕事が遅れた場合でも、権限が強い上司はなかなかミスを認めようとはしません。改善の提案のつもりで言った言葉を、自分の仕事が上手くいかない言い訳と捉えられたりしてしまうこともありました。
③本格的なビジネスの経験のない自分
自分は大学入学から3年間、学生団体での活動やアルバイトなどは経験したことがありましたが、大きなお金がかかっている真剣なビジネスは初めての経験でした。しかし取引先や上司は何十年もアパレル業界で働いてきた「プロ」の人ばかり。
アパレル関連での知識の足らなさから、顧客の方から「君は本当にこの会社で働いてるのか?」と言われてしまったこともありました。そうした人たちとの差を何度も痛感し、自分の至らなさを反省する日々が続きました。
↑ 日本人顧客と商談中の副社長 (インド人)
5000万円の取引を仲立ち
このような困難がインターン開始当初から続きましたが、自分の勤務先は利益をあげなければいけない企業。当然上司からも「〇〇円くらいの成果は出しなさい」というプレッシャーもかかり、仕事に慣れていなくても誰も待ってはくれません。8月頃にあった大きな取引先 (日本円で5000万円くらいの大口取引先でした) との交渉で、自分が取引先の要求を正確に伝えられずに間違った製品を作りそうになっていることが発覚した際には、上司から「お前何しにこの会社に来たんだ?やる気がないなら帰れ!」と厳しい言葉をいただいたこともありました。
このような厳しさには、自分の会社の業種も関係しています。衣服の製造・輸出を主な業務にしているのですが、こういった業種では日本の卸売り業者に対して大量の衣服を輸出するため、1回の取引が非常に高額になります。業種が服の製造という軽工業なので意外かもしれませんが、1社あたり5千万円を超えるような取引すらざらにあります。
従業員の首が自分の手に
もし自分が顧客とのやりとりでミスをして一社の信頼を失えば、売上高ベースで何千万円単位の取引が失われるといった大きな損失が会社に降りかかります。それをインドルピーに変換すれば、何百人以上の工場で働く人の一年間の給料に換算されるでしょう。極端な例をあげるとすれば、自分の失敗で大口のお客様との取引が止まってしまえば、たまに自分が訪問した際に笑顔で迎えてくれる工場の労働者が職を失うことすら現実的にありえました。
もし日本に居たならば、自分の好きなことをしたり仲の良い友達と話したりすることで、気持ちを切り替えることができたかもしれません。しかし自分は1人でインドに来ていたので、なかなかそういうこともできませんでした。「外国人と働いて成果を出す」というような大きな目標を掲げてインドに来た自分でしたが、特にインターン開始から1ヶ月ほどは壁を前にして悩む日々が続きました。
こうした困難やプレッシャーを自分はいかにして乗り越えたのか。そして最終的に現地に何を残せたのか。それについては次回の4回目で書こうと思います。
文責
古川浩康さん (法学部2008年入学)
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