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コラム・日本 vol.3 浴衣と向き合う


「コラム・日本」の第3弾では、浴衣と向き合ってみたい。

昔の浴衣

平安時代、貴族が蒸し風呂に入るとき、水蒸気でやけどしないように着た「湯帷子〔ゆかたびら〕」という衣服がはじまりとされている。江戸時代後期になって、綿の生産量が高まり湯帷子は庶民に普及した。また、銭湯の普及にともない着用の場が増えたため、「湯帷子」が略されて「ゆかた」と呼ばれ、庶民に広く愛されるようになった。そして着替えるのが面倒くさくなり、そのまま外出し、外着としての役割も果たすようになった。明治に入ると、大量生産が可能になり、浴衣が夏の普段着として定着した。ー(町田和紀)

現代の浴衣

上述のような、日本の伝統文化の浴衣であるが、現代の日本で浴衣を着る機会はそう多くはない。日常生活で浴衣を着ている人を見ることは少なく、あくまで夏のイベントなどで使用される限定的な服装という側面が強い。ーいや、だが待ってほしい。浴衣は、ただの和装ではない。あの鮮やかで洗練された形は、まさに日本人の芸術作品である。このままグローバル化の波に呑まれてもよいのだろうか、いやよくない。それはいやだ。 ー(鶴木貴詩)

未来の浴衣

ー日本人はあっぷあっぷ
昨今の日本人は心にゆとりがないと言われている。つまり、あっぷあっぷといえよう。良いのか悪いのかは別として、日本人は潜在的に余裕のない生活を望んでいるということだろうか。現に私もそうだが、周りを見ても、彼ら彼女らのスケジュール帳はぎゅうぎゅう詰めである。少しでもスケジュールに空いているところがあれば、すぐに何か予定を詰め込む。予定がスケジュールでいっぱいで忙しいことが良いことだと考える風潮がある。あっぷあっぷな状態に対して快感を感じるのが日本人の本質なのだろうという考察だ。

ー普段着としての浴衣
ここで、ひとつの提案をしたい。日頃から和装をしよう。この夏、市大生は浴衣を着て大学に行こう。浴衣を着るという日本文化を守りつつ、日本人の潜在的な欲求を同時に満たすことができるのだ。さあ、スケジュール帳を用意してほしい。今すぐ以下の予定を書き込もう。スケジュール帳を埋めよう。 ー(中野寛之)

〜杉本フェスティバル〜

[日時] 2012年7月1日(日)
[場所] 和らぎ会館グラウンド
[備考] 当日浴衣で来場するとイイ事があるかもしれません

 

文責

鶴木貴詩 (Hijicho)
町田和紀 (Hijicho)
中野寛之 (Hijicho)


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