古代には難波宮がおかれ、江戸の世には天下の台所として栄え、明治以降には近代都市として発展してきた歴史あるモダン都市大阪。ここではそんな大阪の歴史に焦点を当て、知られざる大阪の魅力を発掘すべく、大阪の歴史にまつわるいろいろなものを紹介していこう。
今回は、日本最古の観音菩薩の寺といわれる、あびこ観音こと大聖観音寺を紹介する。
写真=あびこ観音正門
まずは、あびこ観音の創建にまつわる話を紹介する。寺伝によれば、古代に依羅吾彦 (よさみのあびこ) の一族が百済から贈られた一寸八分 (約5.5cm) という小さい観音像を信仰していた。その後聖徳太子が当地を訪れたとき、観音のお告げを聞いて大聖観音寺を創建したのが始まりだと伝えられている。本尊伝説については、諸説あるが以下のようになっている。聖武天皇が神仏祈願中にお告げを聞き、僧の行基を泉州水間の滝につかわしたところ、滝から一寸八分の観音像を発見し、これを本尊として水間寺が創建された。その後、応仁の乱で水間寺が焼失し、本尊が高野山や江戸円明院に移されたが、慶安年間に当寺の第44世法印盛長が寺に迎えたとされるものだ。
仏教伝来初期に、畿内やその周辺の寺院は大きな権力を持つ天皇や中央貴族を対象とした寺として機能し、また地方にも仏教を普及させる拠点となっていたとされる。このあびこ観音も古来から皇族・武家が尊崇したとされ、寺宝として後深草天皇や楠木正成、足利義満、豊臣秀吉らゆかりの品があったと伝えられている。しかし、これらは明治14年の火災によって全て失われた。現在、私たちが目にすることのできるあびこ観音は明治30年に再建されたものである。
写真上=観音像、下=本堂
現在でも、厄除観音として参詣者が多く訪れる。記者も実際に現地に赴いた。平日の昼にもかかわらず参詣者がおり、人々に愛されるお寺であることが伺える。敷地内をぐるっと回ってみるとなかなかの広さがあった。本堂の裏を見ると観音像が数十体並べて祀られていた。また、本堂の提灯に吾彦観世音(注1)と書かれており、観音像を贈られたという依羅吾彦の名残だと思われる。また、毎年2月1日から7日に行われる節分厄除大法会では参詣すると厄難を免れると伝えられており、出店も並ぶなどして大いに賑わう。
大学から徒歩で行くことのできるあびこ観音。講義の空きコマなどに訪れて、聖徳太子や聖武天皇のいた古代に想いを馳せてみてはいかがだろうか。
注1 観世音とは観音様のこと。
財団法人大阪都市協会, 『住吉区史』, (平成8年・住吉区制七十周年記念事業実行委員会)
山崎隆三, 『依羅郷土史』, (昭和37年・大阪市立依羅小学校創立85周年記念事業委員会)
文責
古迫 肇 (Hijicho)・桑原 柚 (Hijicho)
写真
桑原 柚 (Hijicho)
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