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大阪歴史探訪第二回 大阪城―陸軍用地から公園へ―


古代には難波宮がおかれ、江戸の世には天下の台所として栄え、明治以降には近代都市として発展してきた歴史あるモダン都市大阪。ここではそんな大阪の歴史に焦点を当て、知られざる大阪の魅力を発掘すべく、大阪の歴史にまつわるいろいろなものを紹介していこう。

今回は、今話題の3Dマッピングイルミネーションが行われている大阪城の近代の遺跡に注目する。

大阪城天守閣は、現在大阪といえば必ずと言っていいほど名前の挙がる代表的な観光名所の一つであり、周辺も公園や大阪城ホールが作られ、ひとつの大きな文化施設となっている。しかし、終戦後占領軍の接収解除まで約365年間、軍事施設あるいは政治の場として活躍し続けていたのである。そして近代においてはこれまでの城としての役目を終えて、陸軍用地としての道を歩むこととなった。実は大阪城にはそういった陸軍時代の史跡もいくつか残されている。

まず一つ目に紹介するのは、天守閣の近くにある古い西洋風の建物だ。大阪城に行かれた方は恐らく見たことがあるだろう。その正体は陸軍第四師団司令部庁舎の建物で、戦後は旧大阪市立博物館として使われていた。現在は使われていないが、建物はほぼ完全に残っており、正面玄関のアーチの下に入れるなどすぐ近くまで近づくことが可能である。この建物と今の天守閣はどちらも昭和6年(1931)に完成しており、これらが併存している様子からは、明治期以降の軍事施設としての一面と同時に、寛文5年(1665)以来久々に天守がよみがえってくるようである。さらに、公園としても整備されつつあった大阪城の当時の姿を想像することもできよう。

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写真=陸軍第四師団司令部庁舎 (筆者写す)

二つ目は、中心部を離れて京橋口の方に移動すると、レンガ作りの建物がいくつか残っている。大きな方が化学分析場で、小さな方が守衛詰め所または便所とされる建物である。これらはかつて森ノ宮から現在の大阪ビジネスパークにかけての広大な敷地を有していた大阪砲兵工廠の一部である。大阪砲兵工廠は明治初期から拡張し続け、東洋一の規模を誇るまでになり、軍需のみならず民需もこなす日本でも有数の工廠であったが、太平洋戦争の空襲で大部分が壊滅し、現在ではごく一部の姿をとどめるにすぎない。残る建物はいずれも現在は使われておらず、接近することも難しいが、近代の軍事施設としての大阪城の姿を今に伝えているといえる。

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写真=化学分析場 (上)、守衛詰め所 (下) (筆者写す)

最後に、今回は大阪城の近代にまつわる場所を取り上げたが、これはまだ一部にすぎない。そして、これに限らずまだまだ多くの魅力を備えているのである。冒頭でも少し触れたように現在大阪城では「大阪城3Dマッピングスーパーイルミネーション」が行われている。17:30からの開催なので、大迫力の光のショーを見る前に大阪城の波乱に満ちた歴史を尋ねてみるのも面白いかもしれない。

アクセス

大阪環状線大阪城公園駅
JR東西線大阪城北詰駅
大阪市営地下鉄・京阪電鉄 天満橋駅
大阪市営地下鉄 谷町四丁目駅、大阪ビジネスパーク駅
大阪市営地下鉄・JR西日本 森ノ宮駅
大阪市営バス 大手前/馬場町停留所
大阪水上バス「アクアライナー」(遊覧船) 大阪城港

イベント

大阪城3Dマッピングスーパーイルミネーション
・開催時間
通常開催日:17:30~22:30 特定日:17:30~23:00
・チケット
通常開催日:一般1,600円 特定日:一般2,000円
・開催場所
大阪城西の丸庭園
・期間
2014年2月16日まで
詳細はこちら
(http://www.tenka1hikari.jp/index.html#rel=1)

文責

古迫 肇 (Hijicho)


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