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大阪歴史探訪 第一回 川口居留地ー大阪にもあった居留地ー


古代には難波宮がおかれ、江戸の世には天下の台所として栄え、明治以降には近代都市として発展してきた歴史あるモダン都市大阪。ここではそんな大阪の歴史に焦点を当て、知られざる大阪の魅力を発掘すべく、大阪の歴史にまつわるいろいろなものを紹介していこう。

今回は今年の水都大阪とも関連して川口居留地を取り上げる。

居留地*と聞くと、関西では神戸を連想される方が多いだろう。そのような居留地がかつて大阪にも存在した。居留地とは外国人の居住や営業のために国内の一部を指定するものであり、日本では安政五年(1858)に米、英、仏、露、蘭の五カ国と結んだ修好通商条約によって翌年神奈川と長崎が開港されて以来約40年にわたって存在した。その中の一ヶ所として大阪に作られたのが川口居留地である。

川口居留地は安治川と木津川の分岐点で、両川に挟まれた川口町に位置する。この場所は、今年10月に開催された水都大阪フェス2013に行かれた方はご存知かもしれないが、この場所は、ちょうど今年ラバーダック (巨大アヒル) が浮かべられていたあたりである。居留地と定められ、慶応4年 (1868)7月29日に各国に競売にかけられた際には、百坪あたりの平均価格が神戸の1.4倍で完売するなど、当初は外国商人達の大きな期待を背負って出発したといえるが、この地は河川港であり、堆積物のせいで水深が浅く大型船が入れない、河口から約6km上流であり小型船で運ぶにしても不便という致命的な欠点があったため貿易港としては栄えず、その役目は神戸に譲ることとなった。かわりに、明治の世になって禁教令が解かれたこともあり、宣教師達が集まってきた。このころにはまだ空き地も少なくなかったが、彼ら宣教師達によって教会や学校が数多く建てられると、今でいう神戸のような居留地らしい雰囲気になっていったという。このとき建てられた学校としては、大阪信愛女学院、平安女学院、桃山学院、プール学院などがある。現在はいずれも移転しているが、伝道の一環としてこの地に集中していたのである。また、創建年は居留地撤廃後だが、大正9年(1920)に現在も残る川口基督教会**が建てられており、この地域の性格を窺わせる。

最後に、現在残っているものであるが、残念ながら居留地時代の建物は残されていない。先述の川口基督教会や、いくつかの古いコンクリートの建物などが旧居留地としての趣を伝えるのみだが、地図を片手に注意深く探れば当時の面影を見つけ出す事ができるかもしれない。

語注

*居留地…外国人居留地。国内の一部を、外国人の居住及び営業のために指定した地域。
**川口基督教会…大正9年に建てられたレンガ造りの教会。川口町におけるキリスト教の中心となった。

アクセス

大阪市営地下鉄中央線/千日前線 阿波座駅より徒歩10分
大阪市営バス 川口1丁目 下車すぐ

参考文献

『大阪川口居留地の研究』堀田暁生・西口忠編、思文閣出版 1995

文責

古迫肇 (Hijicho)


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