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教授が語る夢 商学部・山田仁一郎准教授


市大の様々な分野の教授にインタビューをし、個人的な夢や思想を聞くことで教授自身のことを深く追究していくコーナーです。
第5回は、商学部・大学院経営学研究科の山田仁一郎准教授にお話を伺いました。

山田准教授のプロフィールはこちら (大阪市立大学商学部ホームページより)

先生が専門に研究されているアントレプレナーシップとは?

アントレプレナーシップは成長する組織を創立して、社会を支え、変える力となります。よく「企業家精神」と訳されますが、これはアントレプレニアル・スピリットのことで、これを伴った行動が企業家活動となります。「企業家」とはいいますが、アントレプレナーシップを発揮するのは企業の人間だけではありません。例えば、北海道の池田町はアイスワインで有名ですが、1970年にワイン造りでアントレプレニアル(企業家的)な町興しを行った、最初の仕掛け人は公務員でした。アントレプレナーシップ論は、ここ30年で伸びてきた分野で、今後どんどん研究がなされていくと思います。広く考えれば、アントレプレナーシップは、民主主義やコミュニティ、社会制度の成立の過程とセットで考えていくべき、困難で刺激的なテーマですから。

山田仁一郎准教授

写真=山田仁一郎准教授

学問へのきっかけ

僕は、いわゆる文転・一浪して中央大学の商学部に入学したのですが、浪人生の時に、『ニセ学生マニュアル―面白い知の最先端講義300』という、多様な大学を横断して様々な人が学ぶことをすすめる本を読み、とても共感しました。そこで、大学というよりも学問そのものに興味がもてたんですね。

僕が学問に入るころ、主に3つのテーマに興味がありました。アントレプレナーシップとイノベーションとネットワークです。これらについて学ぶために、大学の学部生のころは、ひたすらいろんな大学の教授を訪ね歩いていました。講義も中央大学以外にもたくさんいきましたし、実際にインタビューもたくさんしました。『ニセ学生マニュアル』の著者の浅羽さんにもインタビューしました。

今のルーツは、そういうところにあるのかもしれません。ほかにもさまざまな分野を勉強しました。明治大学の野生の科学研究所所長である、宗教人類学者の中沢新一先生のゼミの裏1期生もしていましたよ。

僕は、当時物書きになろうと思いながらも悩んでいました。大学の3回生まで、資格試験を受けて失敗したり、だらしない就職活動をしたりもしました。でも、書くということが好きだということが進路を左右しました。

友達に、僕は大学院へ進学することが向いているといわれ、その時の師匠にも相談したところ、ニコニコと君は大学院に向いているから進学するべきだといわれました。こうして僕は、北海道大学の大学院に進みました。両親はとても反対しましたけれどね。

—自身が起業する道もあったのでは?
僕の家は、企業家が多かったのです。祖父の代から代々色々と起業しています。すぐそばで、起業することの面白い部分、大変な部分をこれまで見てきて、自分が企業家になるのではなく、研究という形で、企業家・社会に貢献しようと思ったのかもしれません。とにかく僕は企業家、そしてそれを目指す人たちを学問の立場から深く考え、支援するという、アカデミックな立場にこだわっていきたいです。僕の尊敬するメンターの一人、金井先生は「研究も一つのベンチャーである」という言葉を残していますし。

「夢を語る」ということに物申す

僕は、夢というのは、ただの自分自身の欲望や願望とは違うものだと思うんです。多くの場合、自分がこんなことをしたいという欲望・願望から夢が語られ始めます。

しかし、そうではない。僕は、夢というのは、だれかと共通のビジョンをわかち合うことだと思うんですね。親しい仲間や恩師など、だれかとある種のものを共通のビジョン (絵) としてわかち合う。そこに、夢というものが生まれます。はじめに考えた人に賛同する人がいるから、思いを共有できる。それは、創発的な化学反応です。

夢を語る、つまりだれかとビジョンを共有するうえで、人々が当たり前に、知的基盤の学問を学び、使い、感じてほしいと考えています。その一番大事なものとは、やはり世代間の対話をつなぐ学問や教育現場だと思います。だから、研究教育現場にいる僕らが頑張って学生に伝えていかなければならないものがあると思っています。

歴史を調べれば、日本が辺境にありながらずっとグローバルな国でもあることがわかります。そこには、我々らしい弱さの優位性があるのかもしれません。それは、僕らの祖先が残してくれた“負託”です。すべての物事には、背景があって、まったくゼロから作ることはありえない。その祖先や先輩の“負託”を想像して感じ、今を生きることが大切なのです。夢を語るというのも、人類や祖先の“負託”からくる営みであるということを忘れてはなりません。

学生へのメッセージ

僕のゼミ生には、何度も何度もいっている言葉です。Memento mori (メメント・モリ) というラテン語の言葉で「いつか自分が死ぬことを忘れるな」=「死を思え」という意味です。

また、いま自分自身が生きているということは、ほぼ奇跡に近いことなのです。その奇跡を、自分は、何に活かせるか。自分が今、何をしたいかではない。今、自分は何をすべきなのか、祖先や両親、恩師や友達に何を期待されて、何を負託されているかを意識すること。絶えず失敗ギリギリの問いかけができる対話の場を持つこと。グローバルな遠距離交際と近所づきあいを同時に考えるようなところから、日本のリーダーがもっと生まれてくる時代だと思います。最後に温故知新ということです。自分たちは、どこからきて、いま何をすべきなのかを意識しなければいけません。

まとめると、
・Memento mori =「死を思うこと」
・自分は、何を負託されているのか
・温故知新

よかったら、この3つを心にとめて生きてほしい。

正しいことというのは、無数にあります。この世界には、たくさんの「正しさ」がせめぎ合っています。自分はどんな世界を構築したいのかと、どういうふうに世界を探求していくかが大事なのです。ただ、その場限りで生きていると、知的水準というのは、地に落ちます。今の人間は、こんなその場限りで生きていていいのでしょうか?自分個人がかっこいい服を着て、遊ぶためや楽しく暮らすために大学に来るのでは決してありません。研究や教育は、単なる「サービス」でもないし、学生は「消費者」でも決してない。“負託を感じること”。生きる意味を必死に考え、なぜ自分が恵まれた「学問所」に今いるのかを近未来に向けて正統化する必要性に駆られること。僕は、これこそが大学で求められる「考える実学」だということを、学生の皆さんにお伝えしたいです。

教授が語る夢バックナンバー

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文責

梶佳靖 (商2)
三谷良介 (Hijicho)


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