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コラム・日本 vol.1 日本酒と向き合う


日本酒の消費低迷が叫ばれて久しい。日本が世界に誇る伝統文化「日本酒」は、儚くも消えてゆく運命にあるのか。「コラム・日本」、記念すべき第1弾のテーマは「日本酒と向き合う」だ。 皆さんは普段、日本酒を口にするだろうか。やはりビール、チューハイやハイボールが中心で、日本酒を飲むことは少ないのではないかと思う。近年、日本酒の消費量が減少しているという事実を耳にする。かつては「酒」といえば「日本酒」のことであった。だが、それも今は昔、日本酒は今まさに窮地に追い込まれていると言っていい。この記事では、日本酒と徹底的に向き合っていきたい。日本酒はただのお酒ではない、我が国が育んだ“芸術”であるとすらいえるのではないだろうか。長いコラムになるが、どうぞお付き合いいただきたい。

「日本酒」とは何なのか

そもそも日本酒(酒税法上では清酒)とは何か、ご存知だろうか。日本酒とは、酒税法によって「米、米麹及び水を原料として発酵させて、こしたもの」と定義づけられている。ちなみに日本酒の5割が、ここ関西で作られており、特に灘を擁する兵庫県(30%)と伏見・城陽を擁する京都府(15%)で産量が多い。これらの生産地では、酒蔵を見学することが可能だ。ぜひとも足を運ばれてはいかがだろうか。

日本酒業界の現状

次のグラフは、日本酒、酒類全般の酒類課税数量の推移を表している。日本酒は左の軸、酒類全般は右の軸である。ご覧の通り、酒類全般の課税数量は増加を続けたあとは、横ばいにとどまっているが、日本酒の課税数量は減少を続けている。このように、日本酒の消費低迷は紛れもない事実なのだ。


国税庁HP 「酒のしおり(平成23年3月)」のデータより作成

日本酒の歴史

日本酒は一体いつから存在しているのか。諸説あるが、日本酒のはじまりは稲作が広まった弥生時代以後だといわれている。古事記によると、古来日本は「豊葦原瑞穂の国」と呼ばれていた。神意によって稲が豊かに実り、栄える国・・・日本国の美称である。稲、そして水はまさに日本の原点であり、これらを原料とする日本酒は、長い歴史と美しい風土によって育まれた、高い技術の結晶と言える。そして、日本酒は着実に日本に根付いていく。そう、日本人の近くには、つねに日本酒があったのだ。

開国、そして日本酒は

そして、日本は、明治維新に至る。維新回天の嵐と渦の中で、社会の構造が激変する時代、日本酒を取り巻く状況も例外ではなかった。明治維新とともに数多くのビールメーカーが酒造業界に参入した。また、明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を実施した。明治政府は、欧化政策の一環として国民の間に西洋の酒を浸透させるため、当初ビールやワインに対しては、日本酒に対するような重い課税を行なわなかった。このことが日本人に急速にビール・ワインが浸透したことの一因となったと考えられる。

明治34年、ビールにも課税がなされるようになったが、ワインは無税であった。それ以後太平洋戦争末期にかけて、日本酒にはさまざまな課税がなされていくが、ワインは醸造免許にかかわる税のみで、商品に対する酒税は免除されていた。このことがビール・ワイン業界の活力ともいうべきものを温存し、戦後の業界の復興も差し障りなく行えたと考えられる。今日までのビール・ワインの消費シェア拡大の裏には、実に明治時代の欧化政策が尾を引いている面もあると言えよう。

日本酒と、向き合う

前置きが長くなってしまった。だが、日本酒を正しく理解することは「日本酒と向き合う」上で、どうしても必要な前置きである、ご了承いただきたい。さあ、本題に入らせていただこう。日本酒は、つねに日本人とともにあった。日本人は、日本酒の醸造技術を研ぎ澄ましてきた。そして、日本酒も私たち日本人を育て上げてきた。なぜ日本酒は、日本人の心をとらえ続けてきたのか。私は、日本酒には、日本人の精神が映しだされているのではないかと思う。日本酒は、世界で類をみない高い醸造技術を誇っている。これは、米の味を存分に引き出すという結果を達成するために、最も適切な方法を長い年月にわたって試行錯誤してきたことの結果である。

新渡戸稲造は『武士道』でこのように記している。「もし何かなすべきことがあるとすれば、それをなすための最善のやり方がきっと存在するはずである。そして最善の方法とは、一番無駄がなく、もっとも奥ゆかしいものである」。かつて多くの日本人は、精神を淘汰した上での奥ゆかしさというものを有していた。日本酒にも、洗練さを極め続けた日本人の精神を垣間見るのは私だけであろうか。

日本酒は、ただのお酒ではない。あの透き通るような洗練さ、まさに奥ゆかしさを求め続けた日本人の芸術作品である。 しかし、千年以上に及ぶ伝統を誇る日本酒は、西洋文明の介入によって駆逐されはじめた。着実に減退している日本酒の消費量、それはビール・チューハイ・ウィスキー・ワインなど競合するすべてのアルコール飲料との市場シェア争いという観点なくして分析することはできない。日本に怒涛のように押し寄せた西洋文明は、我が国古来の醸造技術を消し去ろうとしているのだろうか?日本酒は瓦解する宿命を背負ってしまったのだろうか?

日本酒の、これから

今日、日本酒のハイボールなるものが各日本酒メーカーから発売されている。目にしたことがある方もいるのではないだろか。これは各日本酒メーカーが、ハイボールによって低迷が続いていたウィスキーの消費量が復活したという事実を見てのことである。この他にも、日本酒業界は、宣伝活動・拡販努力に関して、まだまだ打つ手があるのではないだろうか。製法の伝統を守るのは大切なことだが、流通構造などを環境に合わせて変革させてゆくことも必要なのである。

また、海外への輸出が好調であるという喜ばしいデータもある。特に高級な日本酒が好んでレストランなどで扱われているそうだ。これは日本の文化が、優れたものとして世界から認められていることの証だ。近い将来「日本」酒が世界の酒になる日が来るのかもしれない。 今まさに日本酒は、ビール・チューハイ・ウィスキー・ワインなどの諸勢力に対し、戦いを挑んでいる。その存在を世界に明示するように、最後の戦いにその身を投じている。国外では高い評価を受けているが、国内ではこの有様である。日本酒の精神や誇りといったものを最も忘れているのは、日本人ではないのだろうか。“洗練さ”の結晶である日本酒が世界に誇れる文化である事を、我々は理解しなければならない。そして、我々の使命はこの遺産を守り、その精神を損なわないことである。我々の努力がある限り、その光と栄誉は蘇生するに違いない。

日本酒は、滅びはしない

過去千年以上にもわたり保ってきた伝統が、突然停止することはありえない。日本酒、それは日本の風土に固有のものであり、歴史上、日本酒は日本人の活動精神であった。それは今なお私たちの近くにあって、力と美を兼ね備えた、生きた対象である。世界中の様々なお酒が手に入る昨今でも特別な行事の際には、日本酒の出番となる。様々なお酒の中でも日本酒は、特別に神聖なものという考え方が現代にも強く息づいているのだ。酒器に注がれた日本酒を想像していただきたい。清らかさや神聖さを象徴するような、静かな美を感じはしないだろうか。

日本酒は、日本の酒であり、何かほかの酒が日本酒にとって代わり、日本の酒文化を守り育てていくなどということは考えられない。日本酒、それは今後も変わらずに、ほのかな芳香を運んで、我々日本人を魅了しつづけることだろう。酒類業界の中で厳しい状況に立たされている日本酒。いま、その真価が問われている。

文責

鶴木貴詩 (Hijicho)

追記

お酒は20歳になってから

権利情報

アイキャッチ画像のイラストは、「イラストポップ」様 (http://illpop.com/) の利用規約にしたがい使用しております。当該イラストの著作権は「イラストポップ」様に帰属します。


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