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平穏な正月の裏で 〜 釜ヶ崎越冬闘争 〜


今回もまた不名誉な記録が更新された。JR新今宮駅のすぐ南側、通称「釜ヶ崎」で第42回釜ヶ崎越冬闘争が開催された。実に40年以上にもわたって続く越冬闘争であるが、これは本来開催されない方がいいものである。にも関わらず、なぜ未だに開催されるのか。越冬闘争に参加し、改めて思うところを書いてみる。

釜ヶ崎越冬闘争とは

まず、「釜ヶ崎越冬闘争」の説明をしておきたい。なお、「釜ヶ崎」は現在では通称であり、行政やメディアでは「愛隣地区」や「あいりん」と呼ばれているが、越冬闘争の関係者は「釜ヶ崎」と呼んでいるので、ここでも「釜ヶ崎」と表記させていただく。
 
釜ヶ崎は、日雇い労働者の街として長く知られてきた。日雇いで稼いだ賃金で食事をし「ドヤ」と呼ばれる日払いの簡易宿泊所に泊まる、というのが一般的な釜ヶ崎の労働者の日常である。仕事にあぶれたり、宿泊料を払えない人は、行政が運営する「シェルター」で眠る。

しかし、年末年始は日雇いの仕事もなく、またシェルターも閉まるため、泊まる場所が無くなってしまう。そのため野宿をせざるを得ないのだが、冬に野宿をするということがどれほど辛いことか想像に難くない。そのような状況を改善するため1970年に第1回釜ヶ崎越冬闘争が開催された。これが40年以上継続している。
 
ところで、この活動は「越冬支援」と呼ぶのが普通かもしれないが、なぜ「越冬闘争」と名乗っているのだろうか。実はこれにもれっきとした理由がある。
 
越冬闘争の主な活動場所は、釜ヶ崎にある公園であるが、1回目の越冬闘争を開催するときは、釜ヶ崎の公園は暴力団などが取り仕切っていた。第1回越冬闘争を開催するにあたり、労働者や実行委員たちは実力で公園を占拠しようとした。その際、暴力団と抗争があり、また、駆けつけた警察や機動隊とも激しい闘いが繰り広げられた。したがって当初はまさに「闘争」だったのである。
 
現在は暴力団や機動隊とやり合うこともないが、それでも「闘争」は別の形で存在する。越冬闘争のスローガンは「ひとりの餓死者、凍死者も出さない」だ。すなわち、「生存」を要求しなければならないほど、野宿者にとって冬を越すことは命がけの「闘い」なのである。

創られた釜ヶ崎

前述したが、釜ヶ崎は日雇い労働者の街として長く知られている。日本が高度成長期に入ると、産業発展のために多くの労働者が必要とされた。橋を造ったり、道路を通したり、インフラを整備したり。越冬闘争が始まった1970年には、大阪では万博開催のために、大量の労働力が必要だった。

しかし、このような仕事は「その時」だけ必要なのである。橋を造るには橋を造るときだけ、万博のための建造物を造るにはそのときだけ、労働者が必要なのである。そのような労働者は仕事が終われば企業には必要なくなるため、日雇いの方が好都合だ。そのような労働者の「寄せ場」として釜ヶ崎は機能した。機能したというよりは、釜ヶ崎を必要とし、釜ヶ崎を「創った」という方が正しいかもしれない。

そして未だに釜ヶ崎は必要とされ続け、存在し続けている。誰が必要としているのか、なぜ必要とされているのかを考える必要がある。

なぜなら我々は、日雇い労働の上に成り立った産業社会で生活している。我々が普段、日常のものとして享受しているインフラなどの多くは日雇い労働の賜物だ。それにも関わらず、我々は野宿をせずに済み、釜ヶ崎の労働者の中には野宿せざるを得ない人がいる。はたして我々と釜ヶ崎の労働者の違いは何なのだろうか。そもそも我々と釜ヶ崎の労働者に違いはあるのだろうか。釜ヶ崎は決して別世界にあるのではない。「日常が隠蔽した日常の本質が、釜ヶ崎にはある」。

写真=炊き出しが行われている公園の様子 (近藤写す)

「釜ヶ崎化」したニッポン

現在は、日本全国が「釜ヶ崎化」したと言われている。日雇い労働は釜ヶ崎では主流であるが、日雇い労働は現在、業種・職種を問わず全国に拡がっている。また、以前話題になった「ネットカフェ難民」は現代版ホームレスと言われており、2008年から2009年にかけて行われた「年越し派遣村」は東京版越冬闘争と言えるだろう。 

胸に突き刺さる「ありがとう」

越冬闘争で活動していると、「ありがとう」という言葉をしばしば耳にする。 夜回りの際に毛布を渡すと「ありがとう」、 炊き出しの際に食事を渡すと「ありがとう」。その度にある種の罪悪感を感じる。
 
私はまぎれもなく、あなたが野宿せざるを得なかったり、炊き出しに並ばざるを得ない社会を作っていることに関与している。私が越冬闘争に参加している目的は、そういうことを忘れないために、自分への戒めとしてという意味合いが強い。その私に対する「ありがとう」はこの上なく胸に突き刺さる。このことは、越冬闘争に参加しているボランティアの多くが感じている。

越冬闘争の目的は越冬闘争をしないこと

越冬闘争では、夜回りと炊き出しが主な活動となっている。しかしこれは緊急的な対症療法であり、本来の目的ではない。越冬闘争の目的は越冬闘争を続けていくことではない。逆である。
 
越冬闘争の目的は、一刻も早く越冬闘争をしなくてもいい社会を実現することである。野宿せざるを得ない人に毛布を配るのではなく、野宿しなくてもいい社会を実現する。食事を取れない人に炊き出しを行うのではなく、みんなが食事を取れる社会を実現する。43回目の越冬闘争を実行するためではなく、実行しなくてもいい社会を実現する。
 
しかし、昨今の状況から見て43回目の越冬闘争を開催せざるを得ない可能性が極めて高い。その時はまた参加させていただくつもりだ。そしてまた、あの胸に突き刺さる「ありがとう」を聞かなければならないのだろう。

学生の連帯

最後に、今回の越冬闘争では学生企画ネットワーク (ガキネット) とその代表の関根隆晃さん (同志社大学・3) に大変お世話になった。ガキネットとは、メーリングリストを通してつながり合っている、様々な問題意識や価値観を持った学生などの集まりである。様々な問題に対して、ちょっと関心があるという人から、ボランティアや研究活動、社会運動を通して関わっている人まで、多様な立場の人が参加している。参加の仕方は、メーリングリストで情報交換をしたり、それぞれの活動や企画を紹介したり、時には一緒に活動したりする。
 
ガキネットは前回の越冬闘争の際に誕生した。前回の越冬闘争で出会った学生が活動中に連絡用に使っていたメーリングリストを、このまま終わらせるのはもったいないと感じ越冬後も残した。その時のメンバーはほとんどが初対面で、今でもつながりは広がっている。

社会問題に対して学生が個々人で活動するのもいいが、どうせなら学生同士が連携した方が、大きな動きにつながるのではないだろうか。

写真=越冬闘争の決起集会で挨拶をする関根さん (島田写す)

学生企画ネットワーク (ガキネット)

Twitter:@gaki_net (https://twitter.com/#!/gaki_net)
Facebook:http://www.facebook.com/gakinet
お問い合わせ
ガキネット代表:関根隆晃さん (同志社大学・3)
bjj3183@mail2.doshisha.ac.jp
090-5123-6371

参考文献

原口剛・稲田七海・白波瀬達也・平川隆啓編著 ,2011年 ,『釜ヶ崎のススメ』, 洛北出版
水島宏明著 , 2007年 ,『ネットカフェ難民と貧困ニッポン』, 日テレノンフィクション
湯浅誠著 , 2008年,『反貧困』, 岩波新書
宮台真司・神保哲生著 , 2009年 ,『格差社会という不幸』, 春秋社

文責

近藤龍志 (Hijicho)


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