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温故知新 旧市大新聞を訪ねて Vol.10 ~ボート祭の今昔~


Hijichoが誕生する60年以上前から発行されていた「市大新聞」の掲載記事を、Hijichoの手で復活させていくこのコーナー。
5月の行事と言えばボート祭である。ボート祭とは、桜ノ宮の大川で行われている市大伝統のボートレースのことだ。市大生だけでなく一般市民も参加することができ、毎年多くの人が参加し賑わっている。レースの他にも盛大なセレモニーや各種ステージ企画も行われており、魅力満載のイベントである。
今年で124回目の開催となるそのボート祭が、昔はいったいどのように行われていたのだろうか。今回は、1955年 (昭和30年) 6月30日に発行された「市大新聞」第66号より、ボート祭についての記事を取り上げる。

※以下当時の市大新聞からの引用 なお掲載にあたり、一部修正や注釈を加えてある。


―ボートレースにて

●豊陵B (※チーム名) 全員はり切って朝早くやって来たので本部へ伝達に行ったところ、集合時間が送れたから不戦敗とのこと。しばらくして開会が宣言されたので ”俺達は開会される前に敗けてしまったのか” と五時に起きて来た者のぼやくことぼやくこと。

●例年のように変った名前のグループが多かったがその中で二つ三つ…
神経痛という名前に迷わされてなめてかかったところ案外強いので ”どうも一種の心理作戦だぞ” ”あいつらが神経痛ならわしらは中風だ” と負けたグループがぼやいていた。
勇将というグループ、優勝にゴロを合わせたのだろうが一回戦で棄権、 ”名前で驚かすなんてキケンなグループだ” とはもっぱらのうわさ。
ハンサムボーイズのとき観衆、特に女子学生の熱心な御観戦にもかかわらずそれらしき人物は一人もみあたらなかった。一人もいないのにボーイズと複数形だなんて罪が深いね。雨でビショビショになって寒そうに本部に帰って来たハンサム君達 ”これじゃアーサムボーイズだ” と。

●堺中の連中人数が足りなくて借りにきたのはよいけれど頼んだ相手が今度対戦するグループの一人だとはよくよく人が足りなかったとみえますね。

笑い話にハプニングと、ボート祭を楽しむ学生の姿は今も昔も変わらないようだ。
長い歴史を刻むボート祭。これからもその伝統とともに、学生含め多くの参加者たちの笑顔をいつまでも受け継いでいってほしいものである。

文責

大塚成美 (Hijicho)


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