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『はだしのゲン』だから? 〜『はだしのゲン』閉架措置騒動によせて〜


今年8月16日に松江市教委による『はだしのゲン』(中沢啓治)の閉架要請の問題が騒動になって10日、8月26日には閉架撤回の決定が出た。

撤回が早すぎる

問題になってから撤回されるまでがあまりにも早すぎて、撤回されたのは、閉架という措置が見直されたからではなく、批判の声が大きかったからではないのかと思わずにはいられない。

今回は、小・中学生が読むには、描写が過激だとして閉架の措置をとったのではないのか。その描写は消えたわけでは無い。問題の解決もないまま、これほど即座に閉架の撤回が行われては、撤回の撤回、つまり、次の閉架もまた同様になされてしまうのではないかと感じてしまう。

なぜなら、「子どもにふさわしいか、ふさわしくないか」という点で、閉架に反対した人、賛成した人は、どちらも根本的には変わらない。子どもが読んでもいい本は、大人が選択できる、もしくはすべきだという立場に立っているからだ。

この騒動で『はだしのゲン』を新たに読む人、読み返す人も増えるだろう。今すぐにではなくても、問題になった部分を読んで、「やっぱりこれは駄目だ」と言う人の方が多くなれば、また閉架になってしまうのだろうか。

「選ばれた本」、「選ばれない本」、そして「閉架になった本」

そもそも、今回の閉架措置が問題になったのは、その対象が『はだしのゲン』だったからだろう。もしこれが、たいていの保護者が子どもには読ませたくないと思うような、いわゆる「子どもの発育上よろしくない(かもしれない)本」だったらこれほど大事になっただろうか。ならなかっただろうし、実際これまでには、問題にならずに消えてしまった本もあるだろう。もっとも、そういう本のほとんどは、まず学校の図書館には置かれていない。

学校の図書館という時点で、選ばれた本しか置かれないのだ。つまり、子どもたちの本を読む自由は、はじめからある程度制限されていると言える。今回のことに関しても、元々『はだしのゲン』が無い学校もあるだろうし、「表現に問題がある」として閉架になったとしても、「選ばれた本」から「選ばれない本」に移行しただけだ。

しかし、それでもやはり、「選ばれない本」と、「閉架になった本」は、同じであるとは言えない。閉架になったということは、それまでは学校の図書館の本棚に並び、生徒たちが読んでいた可能性があるということだ。もしかしたら、大人が子どものためと思って閉架にしたその本が、ある生徒にとっては読書の楽しみを教えてくれた大切な一冊かもしれないのだ。

「学校」の図書館であること

学校図書館は確かに教育機関の一部である。しかし、 学校図書館は大人の都合のためではなく、生徒と、その学習との助けのためにあり、そこにある本は決して、大人が子どものためと言って自由にしていいものではない。学校図書館の本は、学校と生徒たち、さらには地域の人々の共有財産なのだ。

また、学校は、社会に出る前の準備・練習の場でもある。そこで自身の自由を大人に無視された子どもたちは、果たして大人になったからといって急に自分や他人の自由を尊重できるようになるだろうか。ましてや、自分たちの子どもに対して自由を守らなければと思えるだろうか。

本の内容が子どもに及ぼす影響を考えてみることは大切だろう。しかし、本の中の登場人物の言動が子どもたちに影響を与え得るなら、実際に身近にいる大人の言動もまた同じではないだろうか。

学校の図書館という教育の場で、子どもの自由な意思を蔑ろにすることによって、それが子どもにどんなメッセージを送ることになるのか、私たちは自分たちの挙動が子どもに与える影響の方こそ省みなければならないのではないだろうか。

まとめ

今回の問題でもっとも疑問に思うのは、学校図書館の最も重要な利用者である生徒たちの声がほとんど聞かれないことだ。子どもたちの自由を守らなくてはいけないのは大人だし、守るべきと主張するのは大人でもいい。しかし、好きな本を読む自由を最も主張するはずは周囲の大人ではなく、本来なら、図書館を利用する当の生徒たちではないだろうか。その主役である生徒たちの意見をしっかりと聞くことが大切だと思う。意見を聞かれることもなく、無視されることに子どもを慣れさせてはいけない。しかし、聞かれなければ言えないままでは、子どもたち自身が困るのも事実だが。どうすれば、子どもたちが自主的に自分たちの意見を述べることが可能になるだろうか。

最後に、閉架もその撤回も、もっとゆっくり考えていいことではないだろうか。そんなに急いで結論を出す必要もないように思う。特に、教育という多くの子どもたちに直接影響を与える場では。


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コメント

    • 市大生
    • 2013年 10月 04日

    お返事ありがとうございます。

    しかし、Hijichoについて(http://hijicho.com/?page_id=7203)を拝見させていただいたところ、どこにも「学生に考えるきっかけを与える」などとは書かれていないのですが・・・。

      • Hijicho 大阪市立大学新聞
      • 2013年 10月 05日

      重ねてのご指摘、誠にありがとうございます。
      まずは「Hijichoについて」の記述が不完全であったために、
      誤解を招いた点に関して深くお詫び申し上げます。

      ここで、Hijichoにおける「大阪市立大学が直接的に関係しない事柄」に関する記事の
      位置づけについてご説明させていただきます。

      「Hijichoについて」にあるように、Hijichoは学内での情報を集め、
      学生・大学・社会に発信する役割を果たすことを主要な役割として掲げております。

      今回ご指摘のあった「大阪市立大学が直接的に関係しない事柄」の発信に関しては、
      確かに上記の役割には当てはまりません。

      しかしながら、主な読者である大阪市立大学の学生の方々に、
      大阪市立大学が直接的に関係していなくても、
      社会問題などに関して考えるきっかけになる記事など様々な情報を提供することができれば、
      Hijichoの総合的な価値・有用性の向上に繋がり、
      その効果は、上記の主要な役割を果たす上でも役に立ちうると考えております。
      そのため創刊以後、上記の主要な役割の枠を厳密に守るのではなく、
      「大阪市立大学が直接的に関係しない事柄」も積極的に発信を続けてまいりました。

      改めて「Hijichoについて」の記述が不完全であった点、深くお詫び申し上げます。
      この度のご指摘を受けまして、「Hijichoについて」は加筆をすることで、
      読書の方々にHijichoの役割・記事発信のあり方について、
      不明点なくご理解していただけるよう最善を尽くしてまいりたいと考えております。

    • 市大生
    • 2013年 10月 04日

    この記事と大阪市立大学の関連性は?

      • Hijicho 大阪市立大学新聞
      • 2013年 10月 04日

      この度はご指摘を賜りまして、誠にありがとうございます。
      なぜ大阪市立大学新聞という名を冠している当新聞が、
      大阪市立大学と直接的に関係のない記事を執筆しているのかと
      疑問を感じられたことと愚察いたします。

      ここで、当新聞の記事執筆に対するスタンスを説明させていただきます。
      当新聞では「大阪市立大学」と直接的に関連性のない事柄も記事として取り上げております。
      例えば過去には、衆議院・参議院選挙や生活保護問題などの記事を執筆してきました。

      その理由といたしまして、当新聞の主要な読者である大阪市立大学の学生の方々に対して、
      学生記者としての目線で社会に存在する様々な問題を取り上げ、記事として発信することで、
      学生の方々がその問題に目を向け、考えるきっかけになればと考えているからです。

      何卒ご理解いただければ幸いです。

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