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「大阪市立大学の理想図」 温故知新 旧市大新聞を訪ねて Vol.4


「温故知新 旧市大新聞を訪ねて」は、Hijicho 大阪市立大学新聞が誕生する60年以上前から発行されていた「市大新聞」の掲載記事をHijichoの手で復活させていくコーナーだ。

大阪市大新聞第67・68号の一面に描かれた広大なキャンパスの姿。それは、杉本から長居までが全てキャンパスだという壮大な大阪市立大学の姿だった。今回は1955年 (昭和30年) 7月5日発行の大阪市大新聞 第67・68号から「大阪市立大学の理想図」 (原文旧字体「圖」は新字体「図」に改めた) を取り上げる。

大阪市立大学の理想図

まずは以下の画像をご覧いただきたい。新聞の一面に大きな地図が描かれているのがお分かりいただけるだろうか。これが1955年 (昭和30年) 7月5日発行の大阪市大新聞に掲載された「大阪市立大学の理想図」だ。クリックすると拡大されるので、どのような構造になっているのか眺めて楽しんでいただきたい。なお、分かりやすいように色線を入れるなど、ある程度加工をさせていただいた。

図の左側に縦に走っている青の線が阪和線で、上から長居駅、我孫子町駅、杉本町駅だ。赤の線で囲まれている部分が、「大阪市立大学の理想図」として設計された杉本キャンパスである。学舎や競技場など様々な建物によって、広大なキャンパスが構成されている。

大阪市大新聞 第67・68号 「大阪市立大学の理想図」 (クリックして拡大)

現在の長居〜杉本町の地図

設計者のことば
これを設計した第一の動機は、我々が一緒に勉強し、話し合う校舎がなかったためだ。そしていったん設計するならば、自分の抱いている大きな夢をえがいてみようと思ったわけで、このうち半分でも実現することを願っている。また、大学のあり方というものに疑問を抱き、それについて考えたことのまとめとして設計した。つまりこれによって自分の持っている大学のあり方についての主張を強く表明したのである。自分としては大学は職業教育の場であるだけでなく、社会との交流の場であるとも考えている。 (上田稔 理工学部建築計画コース卒 大阪市建設局勤務)

歴史的背景

この理想図が設計された背景には、当時の大阪市立大学の事情が色濃く反映されていると考えられる。「我々が一緒に勉強し、話し合う校舎がなかった」という言葉は、今の市大生にはピンと来ないだろう。

大阪市立大学が発足した1949年 (昭和24年) 当初、各学部の学舎は市内の各所に分散していた。このような状況になっていたのは、1945年 (昭和20年) 10月7日から、米軍によって杉本町校舎が接収されいてたからだ。このような状況に対して、全学をあげて杉本町校舎返還運動が展開された。しかし、1950年 (昭和25年) 6月に朝鮮戦争が勃発し、校舎は軍事病院に転用され、傷病兵の収容、米兵の遺体の中継地となったので、ますます返還は厳しくなった。それでも陳述書を提出し続け返還を訴え、1952年 (昭和27年) 8月11日に一部区域が返還された。1953年 (昭和28年) 7月には、朝鮮戦争休戦協定が締結されたことから、全面返還に期待が集まったが、返還要求に対して米軍からは拒否の回答がなされた。

そこで本学は、「杉本町校舎全面返還促進実行委員会」を結成し、返還運動を一層全学的に盛り上げるとともに、在日米軍、米大使館、日本政府関係各機関、国会、大阪市当局、大阪市会、同窓会、新聞・通信・放送関係機関等各方面への積極的な働きかけを行った。また、中之島中央公会堂において、学生による杉本町校舎全面返還全学決起大会もひらかれた。そして、このような全学を挙げた働きかけの結果、くしくも大阪市大新聞 第67・68号の発行日と同じ1955年 (昭和30年) 7月5日に全面返還が確定し、同年9月10日に返還式が行われた。

大阪市立大学 杉本キャンパスが学生・教職員の手に渡るまでには数々の困難があったのだ。「大阪市立大学の理想図」は、そのような事情を反映した結果であると考えられる。市大新聞に掲載された一枚の理想図、それはただの絵空事などではなく、歴史的な重みのある理想と言えるのではないだろうか。

from editor

壮大な大阪市立大学の理想図、その背景にはキャンパスが米軍に接収され、各学部の学舎が分散し市大生の交流ができないという複雑な事情が絡んでいた。私たちが学生生活を送っている杉本キャンパスは、返還運動の末に再び手にした努力の賜物と言えよう。

理想というものは、その時々の事情が反映されるものだ。大阪市立大学は、第二期中期計画で「グローバル人材の育成」などの目標を掲げている。このように大学当局には大学当局の理想とする大学像がある。では、学生のみなさんは、どのような市大を理想とするだろうか?はたして今の市大は理想的な大学なのか、それぞれの「大阪市立大学の理想図」を思い描いてみてはいかがだろうか。

参考文献

大阪市立大学125年史編集委員会『大阪市立大学の125年 -1880~2005- 』大阪市立大学 (2007年)

大阪市立大学大学史資料室

旧「市大新聞」のバックナンバーは全て、学術情報センター内6階の大学史資料室で閲覧することができる。今回の大阪市大新聞 第67・68号も実物大で閲覧が可能だ。また、資料室では、「市大新聞」だけでなく、学内で発行された様々な冊子や市大とその前身となる大学・専門学校の歴史資料等を保管しており、所蔵資料は閲覧、複写、および撮影することが可能である (ただし室長の許可が必要)。

所在場所 大学内、学術情報総合センター6階
開室時間 9:30~12:00、12:45~16:00
休室日 毎週土曜・日曜、祝日、年末年始
Tel:06-6605-3371
E‐mail:archives@ado.osaka-cu.ac.jp

文責

鶴木貴詩 (Hijicho)


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