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これからの「キャンパス」の話をしよう 白熱教室at府大


キャンパス規制について考える「これからの『キャンパス』の話をしよう」というフォーラムが2月11日、大阪府立大学なかもずキャンパスで開催された。このフォーラムは近年の全国的に広がる大学キャンパス規制強化の傾向を受けて、学生を中心に教職員も巻き込み、今後のキャンパスのあり方について議論しようというものだ。

関東のキャンパス規制とそれに対する反対活動
当日は会場が満席になるほどの大盛況だった。まず、関東の学生によって、キャンパス規制とそれに対する反対活動の実例が挙げられた。例えば大学側の対応として、飲酒規制やビラの事前申請・規制、キャンパス内での集会規制、またキャンパス近くの公園にまで警察が監視するなどが紹介された。このような規制に対し、一部学生は「勝手に集会」や「ナベ闘争」といった反対活動を繰り広げているという。両活動ともキャンパス規制に対抗し学内での自由な活動を表現することを目的としている。「勝手に集会」はSNSを利用して呼びかけ、学内で学生が集い、「ナベ闘争」は学内で皆でナベを囲むことで上述の目的を達成しようとする。


写真=キャンパスフォーラム 登壇者の様子 (府大キャンパスフォーラム実行委員会より提供)


写真=キャンパスフォーラム 会場内の様子 (府大キャンパスフォーラム実行委員会より提供)

パネルディスカッション

このように大学は学生が集うことを極端に嫌うという現状を確認した後、パネルディスカッションに入った。

登壇者
竹内正吉氏 (大阪府立大学学生センター長)
酒井隆史氏 (大阪府立大学人間社会学部准教授)
奥村氏 (同志社大学学部生)
白石氏 (明治学院大学学部生)
菅谷氏 (法政大学学部生)
杉本氏 (早稲田大学学部生)

司会
藤村氏 (大阪府立大学大学院生)

なぜ大学キャンパスで集まりたいのか~あえて「大学」にこだわる理由~
奥村「なぜ大学構内で集まりたいのか。ナベ闘争を例に挙げると、外で鍋をするのは寒いし、初対面の人に気を使う。そんなに大学を大事にする理由は何なのか」
白石「大学が『教習所』のようになっている。それはおかしい」
杉本「 (ナベ闘争の批判に対して) 鍋がしたいわけではない。キャンパス内での活動規制の境界線を確認するという意味がある。そもそも大学の存在意義とは何か。それは想像力の発生だと考える。想像力は無菌室な状態では生まれないものだと思う。授業後に空き教室で勉強会をしようと思っても警備員がやって来て、退去を指示される。このような状態では想像力は生まれにくい」
参加者「大学による過剰なキャンパス規制に対して訴訟を起こすなど手法を変えるつもりはないのか」
白石「大衆を引きこむほうが大切だと考えている。折衝などを同時進行で行なっている」

大学がキャンパス規制をする理由とは
菅谷「関東では国公立大学は私立大学に比べて規制が緩い。その理由として私立大学は経営面が重視されるためであろう。しかし近年国公立大学もまた私立大学に近づいっているように感じる」
杉本「私の大学ではオープンキャンパスの時期は立て看板の撤去が命じられる。大学が受験生や社会に対して『きれいな大学』を見せようとしているからであろう」
竹内「大学を作るのは学生だと思う。大学を愛して欲しい」

キャンパス規制は必然か~学生のモラルやマナーと規制~
藤村「学生側のマナーやモラルが低下している中、キャンパス規制をしないというのは難しいのではないか」
菅谷「規制をかけてもモラルが上がるわけではない」
杉本「早稲田大学では実質的に自治会がないので、大学との交渉の場がない。規制はモラルの低い学生を学外に追い出しているだけだ」
参加者「キャンパス規制の理由として、過去に実際に犯罪が起こったことで (大学は) 予防線を張っているのではないか」
藤村「昔のほうが学生の犯罪数は多い。犯罪を口実にしているだけではないか」
参加者「マナーの良い悪いの境目はどこにあるのか」
菅谷「犯罪行為 (違法行為) でない限り規制の対象とすべきではない」
杉本「違反者と話し合えばいいものを、一律に線を引くという感覚はおかしいのではないか」

社会全体の寛容さが狭くなっている
杉本「全てが『評価』の対象になってしまった。大学も社会から評価される」
藤村「現在の日本にある過剰コンプライアンスやゼロリスク信仰が大学をキャンパス規制に向かわせているのではないか」

キャンパス規制への反対活動について
奥村「私はそのような (上で紹介されたような) 反対活動に協力したいとは思えない。以前キャンパス規制に反対する活動の『おきゅぱい同志社』に誘われたが、当日まで何をするのか決まっていなかった。根っこがふらふらしているくらいならばそのような反対活動はしないほうが良い。」
菅谷「反対活動は組織だっていなくて良い。自分達の活動を見てそこから派生してくれるのが望ましい」
白石「このような反対活動にはセクト主義批判(※)も込めている。セクト主義は目的のために過程を犠牲にしている」
参加者「派手な反対活動は他の学生の共感を得られないのではないか」
菅谷「共感を得るのが目的ではない」
奥村「ドン引き防止のためにも手段は変えるべき。このままだと現状に問題意識を持っている学生までドン引きして、行動しなくなる可能性がある」
酒井「『余地』を広げる必要がある。だからこそ活動を行う上では『ドン引き』する必要がある。こういう活動を広めていくことは世界史的な作業に参加することになるのでは」(会場から拍手)

(※)セクト主義…組織内のある部門が党派的利害や権限に固執し、排他的になる傾向や状態。

From Editor

今回のフォーラムで、(特に関東地方の私立大学での) 過剰に思えるキャンパス規制の現実が伺えた。多くの大学がキャンパス規制強化に動いているということは、社会がそれを求めているということかもしれない。しかし、規制強化は大学の自治を侵しかねない。大学の自治は学問の自由の保障に必要な要素だ。その意味でキャンパス規制は学生の想像力を奪うことに繋がるだろう。また、規制を強化したところで学生のマナーやモラルが向上するとは考えにくい。
一方で規制に対する反対活動は、しばしばパフォーマンスを重視するあまり、彼らの自己満足で終わってしまっているのではないかと感じた。自由に思考し、議論し、創造する「場」としての「大学」であってほしい。そうするためにどのような手段を取るべきなのか、考えていく必要がある。

文責

石原奈甫美 (Hijicho)


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