惑星科学者・向井正
向井正は、昭和20年5月に大阪市住吉区で生まれました。大阪府立住吉高等学校を経て、京都大学理学部物理学科を卒業、同大学院を修了しました。神戸大学名誉教授に就任し、日本惑星科学会会長を務めました。21世紀COEプログラム「惑星系の起源と進化」の拠点リーダー。現在、京都コンピュータ学院の教授を務めています。 続きを読む
すみよしを歩こう・見よう・知ろう
向井正は、昭和20年5月に大阪市住吉区で生まれました。大阪府立住吉高等学校を経て、京都大学理学部物理学科を卒業、同大学院を修了しました。神戸大学名誉教授に就任し、日本惑星科学会会長を務めました。21世紀COEプログラム「惑星系の起源と進化」の拠点リーダー。現在、京都コンピュータ学院の教授を務めています。 続きを読む
庄野潤三 (しょうの・じゅんぞう) は、大正10年2月9日に大阪府東成郡 (現在の大阪市の一部) 住吉村で生まれました。大阪府立住吉中学校 (現在の大阪府立住吉高等学校)、大阪外国語学校 (現在の大阪大学外国語学部) 英語科を卒業後、九州帝国大学 (現在の九州大学) 法文学部を繰り上げ卒業しました。 続きを読む
建物もアートな白壁くっきりさえる「蔵」のギャラリー。「クラシック1010」は伝統美とアートが融合する新美術空間で「ともに遊ぶ」を提案しています。敷地全体は集合住宅「WILL帝塚山」として、 第22回大阪都市景観建築賞 (愛称=大阪まちなみ賞) を受賞しました。 続きを読む
一運寺は、1350年以上も前に聖徳太子によって開かれた寺です。最澄や空海も説法を行ったと言われている由緒正しい寺です。境内には、赤穂浪士である大石義雄 (大石内蔵助=おおいしくらのすけ)・主税父子、寺坂吉右衛門の墓があることで有名です。これは、赤穂浪士を資金面で援助した大阪商人・天野屋利兵衛の子孫が建てたものです。 続きを読む
細江川は、かつて依羅池および旧寺岡村 (現在の住吉区長居) を水源とする、全長約4.2kmの川。現在は約2.5kmまで縮んでいます。古代は細江川の河口に住吉津が開かれ、港として重要な役割を果たしていました。 続きを読む
帝塚山にある六代目笑福亭松鶴の住まいは、弟子の鶴瓶が買い取られた後、寄席小屋として改装されました。そこでは、一門の落語会が開かれるほか、月1回鶴瓶が秘密のゲストを招いてトークライブなどを行う「無学の会」 (http://www.tsurube.net/mugaku.php) が開催され、遠方から多数のファンが訪れます。 続きを読む
57年ぶりに復活した大阪・堺の伝統行事「鯨まつり」が2011年7月24日に開かれ、巨大なクジラ山車 (だし) が大阪市住吉区の住吉大社に奉納されました。山車が担がれて境内の反橋を渡ると、大勢の参拝客が歓声と拍手を送りました。 続きを読む
アサヒ飲料の「三ツ矢サイダー」のルーツは、兵庫県川西市の多田沼です。この鉱泉の水は、薬用として大変効能があるといわれ、明治17年にはビンに詰められ「三ツ矢平野水」として売り出されて全国的に評判を高めました。その後、明治40年に炭酸飲料水として名前も変えて発売された「三ツ矢サイダー」は、現在も全国各地で製造されています。 続きを読む
明治初期までは耕作に適しない荒地だった帝塚山。明治半ばに阪堺鉄道などの交通機関が開通すると、住吉村の住人の手により開発が始まり、大正5年に帝塚山学院が設立されると、地区一帯は高級住宅地・文教地区として発展しました。 続きを読む
住吉の物語は実に古く、悠久の時の流れと共にあります。住吉大社的素材なしに国文学は成立しませんし、美しい海岸線と松原があったという住吉の地は、万葉人の恋歌の地でもありました。また、王侯・貴族は住吉大社参詣の時、広々とした海浜の白砂青松を目の当たりにして感動し、その気持ちを歌に託し競い合い、奉納する習慣が生まれました。住吉大社が海の神だけでなく、和歌の神としても敬われる所以です。 続きを読む