「東の田園調布 西の帝塚山」と称された郊外都市・帝塚山

明治初期までは耕作に適しない荒地だった帝塚山。明治半ばに阪堺鉄道などの交通機関が開通すると、住吉村の住人の手により開発が始まり、大正5年に帝塚山学院が設立されると、地区一帯は高級住宅地・文教地区として発展しました。大正14年に大阪市に編入される頃には、既に農村風景は姿を消し、日本に名だたる高級住宅地として知られていました。

周辺には、大阪市内三大古墳の一つである帝塚山古墳や、区民の憩いの場である万代池などがあります。

コメントがありません

コメントを残す


Spam Protection by WP-SpamFree