地域から探す|山之内

大和川物語

大和川は、水源を奈良県笠置山地に発し、大和盆地の水を集めながら生駒山地を横切って、大阪府柏原市で石川と合流します。現在の流路 (新大和川) は、ここからさらに西に流れ、上町台地の南部を横断して、大阪市と堺市の境界を形成しながら、大阪湾に達しています。

しかし、昔の流路 (旧大和川) は違っていました。 続きを読む

住吉で数万年前のナウマンゾウの化石発見

大阪市住吉区の山之内遺跡と平野区の長原遺跡の発掘調査では、ナウマンゾウの足跡化石が発見されました。山之内遺跡の地下約7m、長原遺跡の約3mの深さの地層から、ナウマンゾウが大地を踏みしめた足跡がたくさん発見されています。 続きを読む

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」―旅路のゴールは住吉の門前町― 

『東海道中膝栗毛 (とうかいどうちゅうひざくりげ)』は江戸時代を代表する滑稽本で、十返舎一九の名作です。江戸の長屋の住人・弥次郎兵衛と喜多八の二人が、東海道を旅しながら洒落・冗談をかわし、各所で騒ぎを起こしては名所をめぐっていく話は、俗に「弥次喜多珍道中 (やじきたちんどうちゅう)」として多くの日本人に親しまれてきました。 続きを読む

考古学からみた住吉津と難波津

遣隋使・遣唐使などの外交・交易活動の舞台となった大阪湾。その交通を保安・警備していたのが住吉津であり、外交・交易の玄関口となっていたのが難波津でした。 続きを読む

開けゆく住吉

大阪の上町台地は、北は大阪城から南は住吉にいたる台地でした。我孫子台地は上町台地に並行し、堺の丘陵から北へ延びて、苅田・杉本・山之内の周辺まで続いています。標高10mから15mの台地とその周囲の平地には、約3,000年前から人が住んでいたと言われています。 続きを読む

住吉のいわれとまちなみ

「昔、息長足比売(おきながたらしひめ)(神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を探し求めて天下を巡りこの地(住吉)に至ったとき、これぞ、まさしく神の地と定めた」とあり、住むによきところであったことを「摂津国風土記」で物語っており、これが住吉と呼ばれる由縁といわれています。 続きを読む