赤穂浪士の墓のある「一運寺」

一運寺は、1350年以上も前に聖徳太子によって開かれた寺です。最澄や空海も説法を行ったと言われている由緒正しい寺です。境内には、赤穂浪士である大石義雄 (大石内蔵助=おおいしくらのすけ)・主税父子、寺坂吉右衛門の墓があることで有名です。これは、赤穂浪士を資金面で援助した大阪商人・天野屋利兵衛の子孫が建てたものです。

利兵衛は、赤穂浪士の武器として大量の槍を堺の武器職人に製作依頼しましたが、職人たちは突然の臨時収入に喜んで、住吉の料亭・三文字屋で豪遊しました。このとき運悪く隣の座敷に町奉行の与力衆がいて、「なぜ職人がそんな大金を?だれが武器製作を依頼したのか?」と怪しまれてしまい、利兵衛は捕縛されて拷問されました。しかし義理堅い利兵衛は、「天野屋利兵衛は男でござる!」と啖呵を斬って、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが終わるまで決して口を割らなかったといいます。

広く知られている赤穂浪士の裏には、資金面で援助した義理堅い大阪商人もいたのです。ちなみに捕り物劇の舞台となった料亭・三文字屋の跡には、現在では奇しくも住吉警察署が建っています。

コメントがありません

コメントを残す


Spam Protection by WP-SpamFree