地域から探す|依羅

細江川 (現・細井川)

細江川は、かつて依羅池および旧寺岡村 (現在の住吉区長居) を水源とする、全長約4.2kmの川。現在は約2.5kmまで縮んでいます。古代は細江川の河口に住吉津が開かれ、港として重要な役割を果たしていました。 続きを読む

我孫子=あびこの由来

「あびこ」という地名は、地下鉄御堂筋線あびこ駅、JR阪和線我孫子町駅、南海高野線我孫子前駅などの駅名になってもなっています。また、大阪府道28号大阪高石線の一部 (阿倍野区・東住吉区・住吉区) には「あびこ筋」という名前が付けられています。この町名 (地名) の由来は、依羅吾彦 (よさみあびこ) が居住していたからといわれています。 続きを読む

大和川物語

大和川は、水源を奈良県笠置山地に発し、大和盆地の水を集めながら生駒山地を横切って、大阪府柏原市で石川と合流します。現在の流路 (新大和川) は、ここからさらに西に流れ、上町台地の南部を横断して、大阪市と堺市の境界を形成しながら、大阪湾に達しています。

しかし、昔の流路 (旧大和川) は違っていました。 続きを読む

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」―旅路のゴールは住吉の門前町― 

『東海道中膝栗毛 (とうかいどうちゅうひざくりげ)』は江戸時代を代表する滑稽本で、十返舎一九の名作です。江戸の長屋の住人・弥次郎兵衛と喜多八の二人が、東海道を旅しながら洒落・冗談をかわし、各所で騒ぎを起こしては名所をめぐっていく話は、俗に「弥次喜多珍道中 (やじきたちんどうちゅう)」として多くの日本人に親しまれてきました。 続きを読む

考古学からみた住吉津と難波津

遣隋使・遣唐使などの外交・交易活動の舞台となった大阪湾。その交通を保安・警備していたのが住吉津であり、外交・交易の玄関口となっていたのが難波津でした。 続きを読む

開けゆく住吉

大阪の上町台地は、北は大阪城から南は住吉にいたる台地でした。我孫子台地は上町台地に並行し、堺の丘陵から北へ延びて、苅田・杉本・山之内の周辺まで続いています。標高10mから15mの台地とその周囲の平地には、約3,000年前から人が住んでいたと言われています。 続きを読む

あさかで祭り 人のつながりが創り出す

10月9日(日)に浅香中央公園であさかで祭りが開催された。当日は晴天に恵まれ、バザーやステージ企画には多くの来場者が訪れた。また午後には、平松邦夫大阪市長も会場に駆けつけ、大きな賑わいに包まれた。 続きを読む

住吉のいわれとまちなみ

「昔、息長足比売(おきながたらしひめ)(神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を探し求めて天下を巡りこの地(住吉)に至ったとき、これぞ、まさしく神の地と定めた」とあり、住むによきところであったことを「摂津国風土記」で物語っており、これが住吉と呼ばれる由縁といわれています。 続きを読む