市川右太衛門旧宅にあった蔵「蔵のギャラリー クラシック1010」
建物もアートな白壁くっきりさえる「蔵」のギャラリー。「クラシック1010」は伝統美とアートが融合する新美術空間で「ともに遊ぶ」を提案しています。敷地全体は集合住宅「WILL帝塚山」として、 第22回大阪都市景観建築賞 (愛称=大阪まちなみ賞) を受賞しました。 続きを読む
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建物もアートな白壁くっきりさえる「蔵」のギャラリー。「クラシック1010」は伝統美とアートが融合する新美術空間で「ともに遊ぶ」を提案しています。敷地全体は集合住宅「WILL帝塚山」として、 第22回大阪都市景観建築賞 (愛称=大阪まちなみ賞) を受賞しました。 続きを読む
帝塚山にある六代目笑福亭松鶴の住まいは、弟子の鶴瓶が買い取られた後、寄席小屋として改装されました。そこでは、一門の落語会が開かれるほか、月1回鶴瓶が秘密のゲストを招いてトークライブなどを行う「無学の会」 (http://www.tsurube.net/mugaku.php) が開催され、遠方から多数のファンが訪れます。 続きを読む
平成22年2月13日、住吉区役所・区民ホール・図書館・沢之町公園の完成記念に植樹されたという「楷の木 (かいのき)」は、中国学問の祖孔子に由来する木です。今から2500年前、孔子は多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜 (きょくふ) の泗水 (しすい) のほとりに埋葬されました。門人たちは、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植え、今も70万坪 (200ha) におよぶ孔林が残っています。 続きを読む
大和川は、水源を奈良県笠置山地に発し、大和盆地の水を集めながら生駒山地を横切って、大阪府柏原市で石川と合流します。現在の流路 (新大和川) は、ここからさらに西に流れ、上町台地の南部を横断して、大阪市と堺市の境界を形成しながら、大阪湾に達しています。
しかし、昔の流路 (旧大和川) は違っていました。 続きを読む
明治初期までは耕作に適しない荒地だった帝塚山。明治半ばに阪堺鉄道などの交通機関が開通すると、住吉村の住人の手により開発が始まり、大正5年に帝塚山学院が設立されると、地区一帯は高級住宅地・文教地区として発展しました。 続きを読む
住吉大社正面の大鳥居から現在の住吉公園の中央を西へ貫く道には、今も両側に石灯籠が残っています。かつての高灯籠は、昭和49年に東約200mへ移転し復元されています。元禄11年 (西暦1698年) に開削された十三軒堀川から船で参詣・来遊することが盛んでしたが、今は埋め立てられ上に阪神高速道路が走っています。 続きを読む
「昔、息長足比売(おきながたらしひめ)(神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を探し求めて天下を巡りこの地(住吉)に至ったとき、これぞ、まさしく神の地と定めた」とあり、住むによきところであったことを「摂津国風土記」で物語っており、これが住吉と呼ばれる由縁といわれています。 続きを読む