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市大の地下道 徹底調査レポ


  市大には地下道が存在する。そんな噂がどこからともなく流れてきた。噂をかぎつけた筆者は、市大の地下道について調査することにした。

地下道と聞いて心当たりがある人もいるかもしれない。なぜなら、1号館には地下へ続いている階段が存在するからだ。

1号館の廊下から伸びる地下道への階段=9月11日、犬田美穂撮影

 

1号館の地下道の実態に迫る

 筆者は管理課の職員さんの案内の下、地下道へと潜入することに成功した。そこは薄暗く、人気がないために、あたかも心霊スポットかのような雰囲気をまとっていた。

 以下がその地下道の簡単な地図である。

 その地下道のなかで唯一、1号館の廊下から覗くことのできる扉。その向こうにあるのは事務用書類庫として使用されている地下室であった。さらに、その右には常に閉まっているシャッターがあり、その先には一本の地下道が続いている。

地下道の廊下=9月11日、犬田美穂撮影

 

 突き当たり右には倉庫、そして突き当り左には地下道が続き、さらに進むと右側には、また事務用書類庫として使用されている部屋があった。

倉庫の内部の様子 =9月11日、犬田美穂撮影

 

 さらに先は、右に道が続いていくのだが、その先の道は天井がガラスとなっておりガラスが落ちてくる危険があるため、右に曲がる前に立ち入れないようにポールとコーンが置いてある。

ここから先は立ち入れないようになっている=9月11日、犬田美穂撮影

 

 今回は特別に先へと進ませてもらう。ガラスからこぼれる優しい光を浴びながら地下道を抜け、その先の階段を上がり切ると、1号館のそばにあるベンチで隠されていた扉に繋がっていた。

天井がガラスになっている通路=9月11日、犬田美穂撮影

地下道に続くベンチに隠された扉=9月11日、犬田美穂撮影

 

 唯一、1号館の1階から下に伸びる階段。その先にはさまざまな書類や物が置かれており、現在でも使用されている空間として存在していた。

 

隠された地下道、旧暖房用暗渠

 実は市大には他にも地下道が存在する。旧暖房用暗渠(あんきょ)である。

 旧暖房用暗渠とは、本学の前身である大阪商科大学の杉本学舎が1933年から1935年にかけて建設されると同時に作られた、学部本館(現・1号館)、旧経済研究所、現在の学生サポートセンターの場所にあった旧図書館に暖房用熱源を供給するための配管を通す地下構造物である。杉本学舎は当時、暖房汽罐室のボイラによる熱源を利用した中央暖房設備を有していた。中央暖房とは、一つの場所に熱源発生装置を設け、そこから熱源を各室に供給し暖房するという方式である。

 つまり当時の暖房は、暖房汽罐室のボイラでつくられた熱源(蒸気)によるもので、それは旧暖房用暗渠を通して各室の暖房機(ラジエータ)に供給されていたのだ。

 旧暖房用暗渠へ侵入するにはマンホールを空けて進む必要があり、今回は残念ながら入ることができなかったが、2014年10月に行われた松本(2014)「本学本館地区旧暖房用暗渠の調査」に内部の様子が詳細に記されている。

 その調査によると、内部は大小新旧の配管が入り乱れており、配管の種類さえ把握することができず、奥に進むにつれて迷路のような状態となっているという。内部はかなり古そうなフランジ付きの大径管や、保温材で巻かれた鉄管があり、それらのほとんどが錆びてしまっていたそうだ。奥に進むにつれ天井が低くなり、どの道も土砂で埋没していたという。内部は照明がなく、泥と埃でまみれており、10月下旬という時期にもかかわらず異常な湿度で汗ばむ温度であった、との旨の記述があった。

 現在でも旧暖房用暗渠は残されてはいるが、劣悪な環境にあることが見て取れる。

1号館東側付近の暗渠内の様子=松本裕行氏提供

 

 旧暖房用暗渠が現在でも地下道として残っていることは分かった。では暖房汽罐室はどこにあったのであろうか。実は暖房汽罐室は、今の第4合同部室なのである。

第4合同部室棟=9月11日、犬田美穂撮影

 

 これは学部本館(現・1号館)と同じく1934年7月に建てられた。当時の暖房機汽罐室の内部構造は2階部分がない吹き抜けの空間設計であり、ボイラ数基と煙道を設置できるようになっていた。そして建物から伸びた煙道と接続した、高さおよそ30mもある煙突もあったのだ。

学部暖房汽罐室の拡大写真=松本裕行氏提供

 

 太平洋戦争終結後、占領軍は大阪商科大学杉本学舎の接収を開始し、それに伴い暖房汽罐室も接収され、暖房と給湯設備の拡充のための改修が行われて使用されていたが、10年後の学舎返還後はボイラ暖房設備の廃止に伴い、倉庫として転用された。

 では、なぜ現在ではサークルボックス棟として使用されるに至ったのだろうか。それは1970年3月3日、木造トタン葺き平屋建てであった当時の第2部学生のためのサークルボックスが焼失し、その代替施設としてこの建物が第4合同部室として生まれ変わったからなのだ。部室として使用するにあたり、内部に2階部分の増築や外壁塗装などが行われた。そして現在は学部生の第4合同部室として使用されている。

 

 本学の旧暖房用暗渠などのボイラ施設に興味を持っていただいた方は、松本裕行氏のさまざまな論文に詳しく書かれているので是非読んでみてほしい。

 本記事を読んで地下道に興味を持っていただければ幸いであるが、個人で勝手に侵入されることは禁止されている。見えぬ地下道にロマンを感じていただきたい。

 

参考資料

松本裕行、『大阪商科大学・大阪市立大学における暖房汽罐室の変遷―戦前期・接収期・返還後を通じて―』、「大阪市立大学史紀要第7号」(2014年・大阪市立大学大学史資料室)

松本裕行、『本学本館地区旧暖房用暗渠の調査』、「大学史資料室ニュース第19号」、(2015年・大阪市立大学大学史資料室)

 

 

文責

犬田美穂(Hijicho)


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