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きみはこれからなにをする? 第2回 法学部卒 仲岡駿さん


きみはこれからなにをする? は、大阪市立大学を卒業したOB・OGが現在どんな人生を歩んでいるのか、どんな志を持って生きているのかを紹介していくコーナーです。
2008年に大阪市立大学法学部を卒業された、仲岡駿さんは、関西大学法科大学院を経て、2014年司法試験に合格されました。(現在、弁護士を目指して、司法修習の真っ最中です。)

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写真=仲岡駿さん (藤田写す)

―弁護士を志した理由は何ですか

主な理由は、二つあります。一つは、人権問題研究のサークルに入って色々な人と出会ったこと。もう一つは、「ゆるぎないもの」が欲しかった、ということです。
この二つは、司法試験の勉強をしている間もずっとありましたね。
法学部だから、なんとなくそういう道に進むだろうと、もともと思ってはいました。学生の頃は、それほど強く意識していたわけではないんです。でも、市大の部落系の人権問題研究サークルに所属して、浅香の障がい者会館、被差別部落であったり、 民族学校などで色々なマイノリティの人々に関わるうちに、弁護士を目指そうかなとふと思ったんです。しんどい思いをしている人たちに寄り添いたいと考えました。そうして、周囲の人からの声や「マイノリティの力になってほしい」などの想いが、自分のなかに少しずつ積もっていきました。それが後々、私の背中を押したんです。

―「ゆるぎないもの」というのは?

自分自身が生きていくためです。
いまの世の中では、私のようなトランスジェンダーが生きていくということは闘いです。就職差別もまだまだ残っていて、トランスジェンダーの就ける仕事は限られているのが現状です。セクシュアル・マイノリティ(以下、セクマイ)だからという理由で就くのを躊躇わないといけない仕事がたくさんある、そういう現状を変えたいと思いました。
いまは「おねぇブーム」なんていうものがありますが、あれはテレビの中だけです。実際には、家族に言うのも、友だちに言うのも、職場で言うのも大変なことです。そんな中で、セクマイはどこかで傷つきながら生きています。「たとえ現実がそうであっても、堂々と働ける」それを私は実現したかったんです。私が堂々と生きていれば、それに続く人もいるのではと思って。だから、揺るがないものが欲しかった。手に職を付けたかったんです。

―セクマイの方でロールモデルにしている方はいますか

ロールモデルというと少し違うかもしれませんが、私の背中を押してくれた人ならいますよ。
5年くらい前にトランスジェンダーの交流会に参加する機会があって、私はそのときまだ男性の姿で迷っている状態でしたが、トランスジェンダーの方に、「あなたならいけるよ」「あなたなら、行きたい方へ行けるよ」と言ってもらえたんです。結局、その人とはそのとき一度きりの出会いでしたが、私にとっては転機になりました。
セクマイというのは孤立します。例えば民族的マイノリティの場合、家族もそうであることが多いと思いますが、セクマイは家族もセクマイというわけではありません。親や家族が味方ではないんです。そういうときに、孤立した心を後押ししてくれる存在というのは、必ず必要になると思います。
実は、私はカミングアウトをせずにいこうと思ってたんです。一気に今の状態にはならず、徐々に徐々に変化していけば、段階を踏んでいけば、「あれ、いつの間にか」になると思って。だから少しずつ、変えていきました。でも、いまは「位置づけ」が求められる世の中ですから。だから「サービスでカミングアウトしてる」っていう感じなんです(笑)

―それは司法試験の勉強をしながらですか

そうです。だから、試験の勉強をしている間はつらかったですね。私の場合、試験のことと、自分のこと、二つのことで悩まないといけなかったので。「試験に受からなかったらどうしよう」「受からなかった私は世の中に見捨てられるだろう」そう悲観的になって考えてしまって。最悪のことを考えたことも何度かあります。
一番つらかったのは、試験を受け控えたときです。試験を受けなかった自分に、精神的にまいってしまって。そのときは、体が動かないということを経験しました。そのときまでに、「精神的にしんどくて体が動かないなんて甘えじゃないの?」と思ったことがあったんです。でも、いざ自分がそういう状況になると、歩いていても座り込んでしまうなど、本当に体が動かなくなることがあるんだと思いました。だから、そのときの「自己嫌悪」、それが一番つらかったです。

―そういう状況をどうやって乗り越えたんですか

私はそのとき、知的障碍者のヘルパーをしていたんです。しんどいからって私が仕事を休むと困る人がいたんですね。仕事とはいえ、その必要とされているという状況が、私を動かす原動力になって復活することが出来ました。

―司法試験に受かった今、将来どのようなことをしたいと考えられていますか

司法試験に合格して蓋を開けてみると、実は「弁護士」という肩書きがそれほど揺るがないものではないということが分かりました(笑)  弁護士も就職難ですし。
しかし、しんどい思いを抱えている方々を見てきた中で、そういった人々に寄り添えるような人でありたいです。そのために法律を使えるような弁護士になりたいです。
私は、なるべく立場の弱い人の側の立場に立って物事を考えようとします。例えば、ひとりぼっちの人を見ると、声をかけてしまう。もともと人の話を聞くのが好きだ、ということもありますが、自分自身も幼少期からひとりぼっちで、周りから孤立してきました。だから、自分が独りだったときに、誰かに声を掛けて欲しかった気持ちが残っているのかもしれません。弁護士としても、世の中でつらい思いをしている人に寄り添っていたいです。世の中は良い方向に変えていけると信じています。

<市大生へ一言>

なるべく他人や世の中に関心を持って生きてほしいですね。
目先の楽しみだけ追っていると、その時々は楽しくても、振り返ったときに空っぽだったと気付くことになると思います。自分とは違った立場の人がいるということ、その方々の気持ちを考えて、想像力を膨らませてみれば、面白い人生になるのではないでしょうか。

※注釈
・セクシュアルマイノリティ…性的少数者と訳される。割り当てられた性別に従って生きることや異性愛者であることが「ふつう」とされる社会において、「ふつう」からは外れる多様な性を生きる人たち(LGBTなど)を総称して使うことが多い。
・トランスジェンダー…生まれ持って割り当てられた性別とは異なる性別を生きる人たちの総称。性別越境者と訳される。

きみはこれからなにをする?

きみはこれからなにをする? 第1回 商学部(2部)卒 和田隆博さん

 

文責

石原奈甫美 (Hijicho)
藤田悠以 (Hijicho)


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コメント

    • のぐち みちひこ
    • 2016年 6月 14日

    これは、Hijichoの良い企画ですね。仲岡駿さんの大学1年生のときから知っています。部落問題関係の受講生会のリーダーとしていい役割をはたしていました。私も、ずいぶん助けてもらいました。駿さんは、強引に皆を引っ張っていくタイプではなく、控えめで、みんなの話をじっくりと聞いて、まとめていくタイプでした。市大を卒業してからは、会うたびに、どんどんたくましく、自分の意見をはっきりと主張していくようになっていかれました。素晴らしい。これからの活躍が楽しみです。市大生の誇りとなるでしょう。

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