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教授が語る夢 第16回 文学部 増田聡教授②


 本学のさまざまな教授にインタビューを行い、それぞれの夢や思想を伺うことで教授自身のことを追及していくこのコーナー。2年ぶりにして第16回となる今回は、文学部文化構想学科表現文化コースの増田聡教授にお話を伺った。3回に分けて掲載しており、本記事は2つ目にあたる。(1つ目はこちらから)

 

 ――コロナ禍で音楽業界は大打撃を受けましたが、これからの音楽業界をどう考えていますか。

 

 僕は業界の実情は全然知らないんですけどね(笑)。ただ音楽業界とひとくくりに言っても、その中身はかなり多様です。しばしばレコード産業、今は配信だけどかつてはレコード産業と呼ばれた、録音された音楽を扱う産業が長く音楽産業の中核とみなされてきた。20世紀はレコード産業が音楽の市場の中核を占めていたわけです。日本のレコード産業の生産額ピークである1998年の市場規模は約6500億円です。それが2020年、音楽配信を含めた日本の録音された音楽の市場規模が2700億円くらい。半分以下、5分の2くらいに減っている。

 ある産業で短期間に市場が半分以下に縮小してしまったらかなり大変なことですよね。けどそれが縮小してどうなったかというと、人員や資源などが別のところにシフトしていたわけです。それがライブ産業。ライブエンターテインメントの産業規模は、2019年までは少なくとも録音された音楽の市場規模よりも大きくなってきていたんですよ。日本では2010年代に音楽ライブ市場が拡大を続けて、2015年あたりにレコード産業を追い抜いた。ライブ産業は前からあったわけですけど、1990年代後半以降はフジロックのような大規模な音楽フェスティバルが日本で普及し、それに呼応するようにライブハウスもすごく増えてきてたんですよね。現在、大阪ミナミのアメリカ村周辺などは日本で最もライブハウスが集中している地域になっています。

 ただ、コロナ禍によりそれらが大きな打撃を受けた。2019年の音楽ライブ市場の規模が4200億円くらいですが、2020年はなんと580億円。前年の14%。壊滅的な減少です。政府が支援を色々やっていますけど、あれもトンチンカンでね。政府の側もライブ事業を管轄する省庁はないわけで、経産省が主にやっていますが、ライブハウスの市場の構造をしっかりわかってやっているわけではないんです。だから、フジロックの時も問題になったのですが、ライブをやらないと支援金はもらえないけど、ライブをやると人が集まって感染が広まってしまうし、かといって休んでいるライブハウスにはお金が出ないし、という感じで非常にちぐはぐなお金の出し方になっている。それだと将来も暗いよねって感じがしています。

 一つ確実に言えるのは、コロナが打撃を与えるのは音楽産業の中間層だということですよね。すでに多くのファンがいるビックネームのアーティストであれば、ライブ収益だけではなくファン相手のビジネスが成り立つので、ネット配信などにファンはお金を落としてくれる。マイナーなミュージシャンはコロナがあってもなくても儲からないのは変わらない(笑)。コロナの影響も最も受けることになるのは中間層で、コロナ禍が収束した後にどうなるかは分かりませんが、そのような中間層、最も活発にクリエイティブな活動を行い、次のビッグネームを目指すような層が影響を受けるだろうなと想像しています。ただ、演劇などはもっと大変ですからね。演劇だとDVDで儲けるわけにもいかないですし。音楽っていうのはいろんなメディアを用いて収益を上げられるという特質をもっているのでそのあたりは創意工夫の余地はある。いずれにせよコロナ収束後はかなり音楽産業のかたちは変わるだろうなとぼんやり思っています。

 

増田先生の著書=片山翔太撮影 

 

 ――コロナの前と後で授業や研究に関して大きく変わったことは何ですか。

 

 僕個人がやっていることはそんなに変わってない感じがしてます。僕はどちらかというとゼミよりも壇上で話す大人数講義が好きなんですが、コロナ禍では大人数講義をネットラジオ形式でやってて、学生からのフィードバックはチャットで対応しています。基本的にはこっちが一方的にしゃべるので、そんなに大きな変化はないです。

 ただ、専門が音楽なので、昨年全国の大学の授業がオンライン化に舵を切った際に行われた様々な制度整備の恩恵は受けました。その中の一つとして、オンライン上で、授業目的で音楽を自由に流すことが著作権的に可能になったんですけど、これはかなり大きなことなんです。かつては、現在やっているような自宅からのネットのオンライン講義で音楽を流すことは、厳密にいうと法に触れる可能性があったわけですが、2020年度から授業目的であれば気軽に流せるようになったので、ラジオDJ感覚で結構楽しく授業やってます。

 ただ、ラジオを聞くのと大学の授業を聞くのとはやっぱり違うじゃないですか。遠隔授業と対面授業はやはりスタジオ放送と観客の前でのライブのような違いがある。音楽を流してそれについて詳しく説明することはZoomなどでも同じようにできますが、対面の授業で「あ、いまのギャグ受けた」とか「みんな退屈して寝はじめた」とか(笑)、そういった学生の直接の反応はオンラインでは感じ取ることができない。学生が思っているよりもずっと、教員はそういった「学生の無言の反応」を壇上から敏感に感じ取っていて、それに応じて授業の中身を繊細にコントロールしています。それは遠隔授業では代替できません。

 もう一つ変わったことは授業外でのコミュニケーションが取りにくくなったことですね。僕は大学生時代ほとんど授業に出てなくて、ゼミが終わった時間にこっそり教室に行って、そのあと先生を誘って飲みに行ってあれこれ話を聞く、といった「教育」しか受けていなかったというのもあって、学生とお酒を飲みにいけないというのが個人的には辛いですね。とりわけ大学院教育は、基本的には教室内の授業だけでは教育が完結しないと思うんですよね。

 

 ――動画を作ったり、先生が顔を出されて授業することではカバーできないということですか。

 

 「オンライン授業をやりなさい」ということになると、テレビ番組のような「ちゃんとしたメディアコンテンツ」的な授業にしなくちゃならない、といった強迫観念につい教員は駆られてしまうんですけど、それはなんか変だと思っています。そもそも基本的に教室では学生って授業中寝てるじゃないですか(笑)。いや、それは学生に失礼だな、座って教員の話を聞いている時間がほとんどじゃないですか。それなら別に動画とか教員の顔とかいらないと思いますけどね。

 教員がオンライン授業において「動画コンテンツ」を作ることにこだわってしまうのは、大学側や教員側の問題というよりは、今の学生含む若者にとっての動画コミュニケーションの重要性が高まっていることは明らかで、それに寄り添わなければ、と誠実に考えてのことだろうと思っています。けど、プロのYouTuberをまねて大学教員が下手な動画つくったとしても、どっちが面白いかって言ったらそりゃYouTuberには勝てませんよね(笑)。なので大学教員は大学教員の現状の能力とセンスにフィットしたオンライン講義をやっていればよいと思っています。生兵法はしない。

 大学生世代が慣れ親しんでいるメディア・コミュニケーションのなかで、動画の比率が急拡大していることは確かですが、「大学の知」は基本的に書物や論文といった言語に基づくメディアを基軸にして成立しているわけなんですよ。とりわけ私は文学部の所属で、文学部とは(しばしば誤解されがちですが)「文学・部」ではなく「文・学部」、つまり文という媒体に関する専門家を育てるところです。多様な文、言語で伝えられたものを正確に解釈し、その読み方書き方を常人以上にマスターし、自分でも書き残すことができる学生を育てるのが文学部教育の目的。

 だからオンライン講義では「教員の顔」などどうでもいいわけです。顔出しの動画で講義をやるのが一般的だからそうしなくちゃいけない、的な付和雷同はしなくてもいい。といいますか、むしろ「してはならない」。僕は基本的に、大学とは多様性を身をもって示す場所でなくてはならないと考えますので、「みんな」がやっているのと違うやり方を提示することは、大学人のある種の義務ですらあると思っています。

 だから、PDFのレジュメだけ配って、学生へのフィードバックもない「オンライン講義」は、つまらないとか手抜きだとかよく批判されますけど、僕は「そういうのもあってしかるべき」だと思っています。教員みんながみんな同じやり方で授業を行うわけじゃなくて、いろんな教員が好き勝手に自分の責任で好きなかたちで授業をやっていて、学生に対して「多様性」を実際に提示することに大学教育の意味があると思っている。出来る範囲で他人と違うことをやる、ということが重要だと思っています。

 

続きはこちらから

 

 

取材            文責

片山翔太(Hijicho)       羽戸さくら(Hijicho)


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