住吉区民のシンボル 楷の木は学問の木

平成22年2月13日、住吉区役所・区民ホール・図書館・沢之町公園の完成記念に植樹されたという「楷の木 (かいのき)」は、中国学問の祖孔子に由来する木です。今から2500年前、孔子は多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜 (きょくふ) の泗水 (しすい) のほとりに埋葬されました。門人たちは、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植え、今も70万坪 (200ha) におよぶ孔林が残っています。

弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢(しこう)は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れました。この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に強く美しい姿をとどめています。中国隋の時代から清の時代までの官僚登用試験「科挙 (かきょ)」の合格祈願木と言われるようになりました。

もともと「楷の木」は日本にはなく、大正4年に孔子の墓所に植わっていた「楷の木」の種が持ち帰られ、岡山県備前市の特別史跡・国宝の閑谷 (しずたに) 学校に植えられた。閑谷学校は寛文10年 (西暦1670年) に岡山藩が庶民教育のために設置した学校・学問所です。庶民のための学校となり地方のリーダーを育てる学校でもあった。講堂をはじめ聖廟や閑谷神社など、ほとんどの建造物が国の重要文化財に指定されます。閑谷学校の楷の木の種子から育てられた木を大阪市が譲り受け、住吉の沢之町公園入口に植樹されました。発芽率の低い楷の木ですが、その成長と四季折々に見せる美しい佇まいはすばらしいことが有名です。

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