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考古学からみた住吉津と難波津

遣隋使・遣唐使などの外交・交易活動の舞台となった大阪湾。その交通を保安・警備していたのが住吉津であり、外交・交易の玄関口となっていたのが難波津でした。 続きを読む

1800年の歴史を刻む伝説と神話の住吉大社

住吉大社は、神功皇后摂政11年 (西暦211年) に鎮座して以来、水都大阪の守護神として1800年にわたる大阪の歴史を見守ってきました。遣隋使や遣唐使の出航地であり、万葉集や住吉大社神代記にも歌われています。奈良時代、住吉の津から出航する遣唐使の海上の安全を祈り、江戸時代には、海上安全の守護としての信仰が広まり、運送船業の関係者から奉納された約600基の石灯籠が現存しています。 続きを読む

開けゆく住吉

大阪の上町台地は、北は大阪城から南は住吉にいたる台地でした。我孫子台地は上町台地に並行し、堺の丘陵から北へ延びて、苅田・杉本・山之内の周辺まで続いています。標高10mから15mの台地とその周囲の平地には、約3,000年前から人が住んでいたと言われています。 続きを読む

いにしえの住吉の浜辺と長居の里

住吉大社正面の大鳥居から現在の住吉公園の中央を西へ貫く道には、今も両側に石灯籠が残っています。かつての高灯籠は、昭和49年に東約200mへ移転し復元されています。元禄11年 (西暦1698年) に開削された十三軒堀川から船で参詣・来遊することが盛んでしたが、今は埋め立てられ上に阪神高速道路が走っています。 続きを読む

住吉のいわれとまちなみ

「昔、息長足比売(おきながたらしひめ)(神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を探し求めて天下を巡りこの地(住吉)に至ったとき、これぞ、まさしく神の地と定めた」とあり、住むによきところであったことを「摂津国風土記」で物語っており、これが住吉と呼ばれる由縁といわれています。 続きを読む