1800年の歴史を刻む伝説と神話の住吉大社

住吉大社は、神功皇后摂政11年 (西暦211年) に鎮座して以来、水都大阪の守護神として1800年にわたる大阪の歴史を見守ってきました。遣隋使や遣唐使の出航地であり、万葉集や住吉大社神代記にも歌われています。奈良時代、住吉の津から出航する遣唐使の海上の安全を祈り、江戸時代には、海上安全の守護としての信仰が広まり、運送船業の関係者から奉納された約600基の石灯籠が現存しています。

源氏物語にも登場し、近世には井原西鶴や松尾芭蕉も訪れました。平安時代から和歌の神として、歌道を志す参拝者が数多く、有名な句に「我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代へぬらむ」(古今和歌集) があります。

住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えた、という伝説が残っています。神功皇后が長門の国から植女 (うえめ) を呼び、御田を作り五穀豊穣を祈ったとも言われています。

本殿の配置は第一本宮から第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮に並んでおり、これらは住吉大社だけの建築配置です。その姿は航海安全の神らしく、あたかも大海原をゆく船団のように立ち並んでいます。三社の縦に進むのは魚鱗(ぎょりん=魚のうろこ)の備え、社のひらくは鶴翼の構えであり、八陣の法をあらわすとも伝えられています。なお、本殿は住吉造といわれ、神社建築史上最古の特殊な様式で国宝にも指定されています。

敷地内に架かる住吉反橋 (すみよし・そりはし) は、大阪が誇る美しい橋のフォルムの源流ともいうべき存在です。反橋が反っているのは、地上の人の国と天上の神の国をつなぐ掛け橋として、虹に例えられています。

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