松井の引退

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どーもたっさんです。明けましておめでとうございます(遅)。

今年は巳年ですから、僕の1つ上の先輩方が年男・年女ということですかね。
ということは僕はうま年ですね。来年年男です。

はい、本題に入ります。僕は冬休みに釜ヶ崎というところにいました。
西成区のあいりん地区と言えばわかる方もいらっしゃるかも知れませんね。

というのも、年末年始にかけて越冬闘争というものに参加していたわけです。
(越冬闘争についてはこちら)

越冬についてはすでに記事にしてるのでここであーだこーだ言うつもりはありません。
簡単に言えば年末年始の野宿者支援ボランティアという感じです。

じゃあ何で釜ヶ崎を持ち出してきたかと言いますとですね、越冬に参加してると釜ヶ崎以外の情報が全然入って来ないんですよ、えぇ。

宿泊先にはテレビも無いし、新聞もスポーツ紙しか無いんで釜ヶ崎の外の世界がどういう風に動いているのか全くわかりませんでした。
冬休み中は松井が引退したことぐらいしか知りません。

 

 

…ていうか松井引退しちゃいましたね!どうしましょう、結構好きだったんですが…
「清原や桑田は甲子園で打って有名になったけど、自分は打てなくて有名になった」っていうコメントは面白かったですね。
あの星陵対明徳義塾戦での5打席連続敬遠のことですね。

 

 

ちょっと話がずれましたね。元に戻しましょうか。

何が言いたかったかといいますとですね、「情報」が無いのはこんなにも不便なのかということです。

普段何気なく接してる情報ですが、ひとたび遮断されると全く世の中の流れについていけなくなるんですね。
ましてや釜ヶ崎みたいな、ある意味「特殊」な場所にいたらなおさらです。

情報を扱う活動をさせてもらっている身としては、Hijichoがいなかったら誰が阪和線の遅延情報学内の情報を伝えるんだろうと思ってしまいますね。
また、現在Hijichoは学内の情報をきちんと届けられているのか、ということも考えさせられました。

僕はもうすぐHijichoを引退する身ですが、後輩たちにはここのところを常に考えて活動してもらいたいです。

ではみんなで今年を良い年にしていきましょう。

文責

近藤龍志 (Hijicho)

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