江戸時代の住吉の浜は潮干狩りの名勝

近世の大阪湾岸には潮干狩りの名所がありました。『摂津名所図会』(寛政10年・西暦1798年刊) には「出見の浜」と高燈籠の絵が描かれています。高燈籠に登り、扇をかざして四方山 (よもやま) を眺めている人や、下の茶店で休憩する人、十三間掘川に浮かぶ屋形船には料理を挟み楽しげに談笑する人々の姿が描かれています。

当時の住吉は、舟をしたてて川から来る人、紀州街道や高野街道など陸路を利用する人などで、活気に溢れていました。住吉長峡 (ながお) の浦 (住吉大社の前の海) の遠く沖合には帆掛け舟が浮かび、遠浅の砂浜には腰を屈めた人々が集い、潮干狩りをしています。

住吉には、かつて海浜であったところの船の航行を助ける燈台だった高燈籠が今も名残に建っています。当時高燈籠の人気も手伝い多くの人出があり、住吉の浜は大坂の名所十二景や八景にも選ばれるほどの景勝地でした。住吉の浜は、家族が揃って行ける当時の典型的な名所・行楽地でした。特に春には大勢の人々が潮干狩りに訪れたといいます。大坂市中から木津川を下って屋形船でやってきて、潮の引いた砂浜に船を着けます。

住吉の浜の中心は、長峡の浦出見の浜。「摂津名所図会」の挿絵を見ると、大鳥居の前の太鼓橋、参道が松原を抜け浜に向かってまっすぐ延び、途中で南北に走る住吉街道と交差します。両脇には献燈籠と水路 (十三軒川) があり、そこに架かる橋とその沖に浜と木津川の河口が広がっています。

大鳥居から五丁くらいの位置に海岸線があったと思われるので、現在の住吉公園の西側を南北に走る国道26号線の少し西側が当時の海岸線に当たると考えられます。干潮になると、そこに広い砂浜と干潟が現れます。渡り鳥の中継地、また多くの水鳥の餌場にもなっていました。

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