プロフェッショナル☆議論の流儀

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こんにちは、またまた徳永です。

以前、編集会議についてのブログを書きましたが、それに関連して「議論」というものについても僕の思うところを書きたいと思います。

少し自嘲気味に言うと、僕はこの5年間ずっとミーティングサークルに所属してきました(笑)。ここで言うミーティングサークルはHijichoに限りませんが、活動に占めるミーティングの割合が大きいサークルを指します。そういったところでの活動を通して会議において重要なことを経験的に学びました。それを下にいくつかあげてみました。

・議論の枠組み・たたき台をつくる
・議論のゴールを設定する
・議論の論点(議題)を設定する
・意思決定の判断基準を設定する
・意思決定権者を決める

他にも色々ありますが、今ここで僕がパッと思いついたのはこれらです。

では、上から順に説明します。

たたき台をつくるとは、議論の筋道たてること、また企画や方針・取り決めについて話す場合にはその草案を用意してくることを意味します。もちろんゼロベースで話し合って新規のアイデアを膨らますことも必要で重要なことです(僕も大好きです)。ですが、毎週の編集会議は時間に限りがあります。決められた時間内で結論を出さなければいけないため、やはり議論にある程度の枠組みを設定する必要があるでしょう。会議時間中に、白紙のまま「さぁみんなで企画について一から話そうか!」ではだめなのです。
代わりにゼロベースでの話し合いはオフィス(Hijichoではボックスのことをこう呼びます)での日常的な会話の中で行います。Hijichoメンバーは新しいこと、わくわくすることが大好きです。なので日常会話の中で、「こんなことやってみたい!」「ここんところこうしたい!」といった声が自発的に発せられるのです。そうした時に、自由に、そして熱く議論できたらなと思います。また時には落ち着いたBarで、Hijichoのこれからについて時間を忘れて語り明かすこともあります。
(HijichoはBarが好きです。Hijichoはおしゃれ団体なのです。Barに行ってみたい人はHijichoメンバーと友達になって連れて行ってもらってください。というか、僕が連れて行ってあげますので友達になってくださいm(__)m)

少し雑念が混じりましたが、このようにゼロベースでの話し合いは、上のような時間やもろもろの制約の無い環境の下に行われるのが、アイデアを柔軟に広げる意味でも、適当だと思います。
事実、「Hijicho」という団体そのものもこうしたゼロベースの会話から生まれました。大学3年目の終わりに差しかかった3人が共通の問題意識を背景に集まり、大学を良くするために何ができるか、今後の自身らの身の振り方について、夜を徹して語り明かした末に、出したその答えがメディアだったわけなんですよね。(過去を振り返る遠い目)

次にですが、議論のゴールを設定ってのは単純で、その議論を通してどういった結論を得たいかということです。もちろん議論をする前には結論は分かりませんから、必ずしも結論が推測されるわけではないですが、こうこうこういうことに対して結論を得たいと想定することは可能かと思います。もしゴールがなければ、話し合いがどこに向かうべきか分からずさまようことになります。

最初の枠組み・たたき台をつくるというところと重なる部分ではありますが、議論の論点を予め設定することも必要です。じゃないと何を優先して話したらいいか分からないですし、話が途中であっちこっちに行ったりしますからね。ただ論点を設定しなきゃいけないというのは分かったとしても、何を論点とするかってすごく難しいんですよね。これは結構経験や知識が必要だったりすると思います。なぜなら議論する事柄の問題点、及び本質はどこかを見抜かなければならないからです。活動の経験が浅い人にとって難しいことは当然のことながら、経験や知識のある人も重要な論点を見落としたりすることがあります。なので、そのときは議論に参加する周りの人が代わりに身落としている部分を指摘できるといいですね。

論点というのはいわば議論のゴールに向かってのマイルストーンにあたります。マイルストーンごとにそれぞれ方向を判断しなければなりません。個々のマイルストーンを経た後にゴールにたどりつくわけです。

意思決定の判断基準を決めるということは、単にその事柄についてメリット・デメリットを洗い出して、数を比べることを意味するのではありません。挙げられたメリット・デメリットの内、何を重要視するかを決めるものです。
判断基準には個々人の価値観が往々にして反映されます。当然ながらどの価値観が優れているか、劣っているかの優劣はつけることはできません。しかし組織として意思決定するにあたっては、どの価値観に一番重きを置くか選ばなければならないのです。自然、ここで多く意見が衝突します。

少々長くなるかもしれませんが、一つ例をあげてみたいと思います。

今Hijichoでは「新聞」の是非についてちょっとした議論が起きています。長期休暇を除いてHijichoは毎月新聞を発行していますが、そうした紙媒体を巡って継続・拡大か、縮小・廃止のどちらの方に舵を切るべきか悩んでいます。こうした議論が起きる原因として紙媒体の発行が多大なコストを要することがあげられます。毎月の新聞発行は非常に大変なもので、大量の紙を使用することから金銭的なコストがかかるのはもちろんのこと、印刷・折り込み・配布・設置の一連の作業により人的なコストも無視できないくらいに大きいものです。Hijichoの財政そして活動容量圧迫の大きな要因となっています。
しかしながら、一方でメリットがあるのも確かです。理想としては市大生の皆さんにHijicho Webを始めとするWeb媒体を定期的にチェックして欲しいものなのですが、市大生の皆が皆、Hijichoを知っている訳ではありませんし、また知っていたとしてもWebをチェックしたり、Hijichoのtwitterアカウントをフォローしてくださっているものでもありません。そうした状況を考えれば、記事を紙面に落として新聞という実体のある形にまとめ、流通させることで、Hijichoを知らない人の手にも渡る可能性が出ますし、またWebで記事を確認するのが疎ましいという人も、新聞を手に取ることで記事を読む機会を得ることができるのです。
こうして見ると新聞のメリット、デメリットはそれぞれ妥当なもので、なおかつどちらもクリティカルなものです。そのため容易に是か非かの判断ができないことがお分かりになるかと思います。これも突き詰めると最終的に行き着くところは価値観の問題になるわけです。
メリットを重視する立場の意見では「まだまだ学内におけるHijichoの知名度、並びにWeb媒体の普及は十分ではない。依然として他媒体と比較した新聞の訴求効果は大きく、容易に手放すことはできない。それにHijichoの主幹事業はあくまでメディア活動であり、その中でも特に自らも新聞部と呼称することを考えれば、新聞の廃刊はアイデンティティの喪失につながりかねない。」といった声が上がります。
それに対して、デメリットを重視する立場の意見では「新聞発行に掛かるコストは非常に大きく、また固定的なため長期にわたって活動と財政を圧迫しかねない。新聞発行にお金とメンバーの時間を割くぐらいなら、他の創造的な活動に振り分けた方が有益だ。それにHijichoの理念は『つながりの創出』であり、(メディア活動における)新聞発行は理念達成のための一手段にすぎない。理念達成を念頭に置くのならば企画・イベントに代表されるプロジェクトも同様に扱うべきである。」との反論があります。
そういったわけで、新聞の是非の判断は、実は「Hijichoの本質は何か」という組織の根本の在り方を問う問題につながるのです。非常に難しい問題ですが、両者の意見のバランスはとりながらも、最終的にはどちらの価値を重要視するのかHijichoの組織としての判断を下さなければならないのです。

例が長くなりましたが、元の話に戻ります。
最後に、これはある意味おまけですが、意思決定権者(またはどのようにして意思決定を行うのか)を決めておくことも必要かと思います。議論の過程でいろいろな意見が出てきますが、要するに誰が、もしくはどのような手続きに乗っかって意思決定の最終判断をするかということです。
日本人の性格柄かもしれないですが、議論において誰がとも言うことなく、全体の空気の流れでなんとなくで結論を出そうとする傾向があると思います。でも、そうすると、なかなか結論が決まらなかったり、また結論が出たとしても責任の所在が不明瞭になったりするんですよね。
蛇足かもですが、責任という観点でいえば、意思決定権者もそうですが、それ以上に行動の責任者を決めることも言うまでも無く重要です。行動を見越した議論であるからには、結論が出たことだけに満足することなく、活動まで責任をもたなければいけないことは当たり前ですよね。会議の後しばらくたって、「〇〇のことについてはどうなってる?」と聞いて、全員が全員「さぁ…」というようでは困るわけです。

以上のことをまとめると、つまり議論には準備が必要ってことなんですよね。で、その準備を任される個人にとっては、たたき台を作ったり論点を設定したりっていうのは非常に負担になることは間違いありません。そこはもうね..頑張ってくださいf^^;
でもそうした苦労を嫌って準備を怠ってしまうと、議論に参加するその他多くのメンバーの時間を空費させてしまうことを心に留めておかなければならないと思います。

だけれども、かっちり準備しすぎることに関しても弊害がないこともありません。ここまで準備の必要性を説いといて、それはないだろと言われるかもしれませんが、枠組みやたたき台が最初からガッチリと設定されてしまってると、どうしてもその枠組みから外れた話をすることが難しくなったり、シナリオ通りの議論になったりすることがあります。多分、こうしたやり方は官僚の方々が得意とするものかと思いますが。。
そんな訳で議論の自由度と効率性とを常に天秤にかけなければならないわけです。そのバランスが難しいところですが、そこはもう会議の限界とでも呼ぶべきものではないでしょうか。

今回は議論においても、特に準備の部分に焦点を当てて重要だと思う点をバラバラに羅列して書きましたが、議論の最中に個々人が気を付けるべきことももちろんあります。今回は長くなってしまったので、ここで切りますが、また機会があればそのことについても書いてみたいなと思います。

なんだか偉そうに書きましたが、僕自身できていないことばかりです。自分に対しての自戒も込めて書いてみました。また僕自身の経験に基づく考えなので、もしかしたら間違っている部分もあるかと思います。その場合はコメントでもいいので指摘してくださると嬉しいです。

ではでは~

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