パブリッシャー (編集長)としての1年

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パブリッシャーの加賀です。2月15日、おかげさまでHijichoは設立1周年を迎えることができました。Twitterでは、「おめでとう」というリプライもいただきました。本当に多くの方のご協力をいただき、また見守っていただき、この1年間走ってくることができました。皆さんありがとうございます。

Hijichoが結成に向けて動き始めたのは、設立からちょっと前の2011年1月13日。2010年文化系サークル連合執行部を引退した中野・徳永・加賀の3人で、「今後の身の振り方を考えよう」という徳永の呼びかけのもと、市大には何が足りないか、自分たちは何ができるかについて考えを出し合い、「市大にたりないのは広報機能」という結論に至り、Hijichoの結成に向けて動き始めました。何度か「密会」を重ねる中でHijichoの名称も決まり、新聞を出そうという現在のHijichoの活動の中心事業も固まりました。


画像=2011年3月に試作した、「Hijicho 市大新聞」ベータ版

当時、僕は正直なところ新聞は時代遅れでWebに軸足を置いた情報発信をするべきだと考えていましたが、実際に新聞を発行して情報発信をしてゆく中で、新聞という紙媒体の持つ重要性を見出していきました。Webは検索するかURLを知らないとアクセスできず、情報を行き渡らせるという使命を十分に果たせません。6月号くらいから、新聞をただ教室で配るのではなく、着席している学生の皆さんに直接手渡しをすることで、より確実に新聞をお渡しするようになってから、新聞という紙媒体の果たす役割には大きな価値があると感じるようになりました。

2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。できたばかりのHijichoは、広報機能としての本分を果たしていこうという決意をし、大学の施策や自主的に動こうとする学生の姿を追いました。身近に起きている小さな動きを広報することで、より大きな活動の輪を広げていくことができると考えました。それが「つながりの創出による地域活性化」という、現在のHijichoのビジョンにもつながりました。このビジョンには、大学と学生と地域 (特に住吉区・大阪市) の相互理解から、社会に新たな価値を生み出していくお手伝いができるという、Hijichoにしかできない想いが込められていると僕は考えています。

報道には、世論を形成するという力があります。世論の形成はある出来事に対して共感を呼び、新たなつながりを生むことで、社会に新たな価値を発生させる力を持っています。しかし、時に偏った見方や、極端な言い方をすると扇動を生む恐れがあります。かつて1960年代以降、大阪市立大学は学生運動が過熱し、社会に対して様々なご迷惑をかけたことが知られています。僕は大阪市立大学で新聞を出すことに、そのような認識を持っている方に当時の学生運動に似た動きの再来であるかのような誤解を与えてしまうかもしれないという懸念を抱いていました。僕がHijichoの発展に尽力したのは、そのような負の歴史を再来させたいからではありません。したがって、報道とは何か、物事を伝えるとき何を気をつけるべきか、パブリッシャー (編集長) の立場として常に注意を払ってきました。報道と主張は異なる。この1点を大切にしながら、記事を世に出してきたのです。

Hijichoは2年目に突入しました。振り返ると1年目は、活動の軸を強固にするための期間だったと感じます。いくつかの学生または学生団体と大学の間で、被災地支援のあり方を決定するスピードが全く異なることに違和感を覚えたり、自転車の駐輪が突如有料化されたり、成績の「保護者」への通知が突如決定されたり、一学生として「大学は一体何をやっているんだ」と憤る場面もありました。しかし、そこから見えてきたのは、大学と学生の距離が遠いことでした。大学は学生が考えていることを、学生は大学が考えていることを、お互いによく理解していないのが、あらゆる意識のミスマッチの原因だと思います。


画像=構内自転車駐輪有料化を取り上げた「Hijicho 大阪市立大学新聞 第4号」

Hijichoがそれら大学の施策を報じる際に、特に4〜5月はやはり主張が込められてしまうこともありました。自分のパブリッシャーとしての役割が果たせていなかったことを反省するばかりです。報道と主張は異なる。7月号の自転車駐輪有料化では、大学が施策を導入した背景を掲載することで、大学の考えを学生に知ってもらう機会を設けることができたのではないか、Hijichoの役割が少しは果たせたのではないかと感じました。年末には地域に大学を知ってもらおうという方針で、大学周辺の飲食店に新聞を設置させてもらうようになりました。つながりの創出の土台として、大学・学生・地域が相互に理解するという活動の軸が、徐々に形成された1年でした。

4月には2000人弱の新入生が市大にやってきます。同時に新2回生には、語学教室で新聞を手渡すという機会がなくなります。Hijichoの存在を知ってもらい、小さな活動や動きの芽をみんなに知ってもらえる日が来るのは3年後。現在の1回生が卒業する時です。2017年3月には全ての市大生に、Hijichoの存在を知ってもらっている状況がやってくると考えています。Hijichoがその時、信頼される情報発信を行い、新たな価値創造のきっかけとなり続けていることを期待して、今月末をもって僕はパブリッシャーという役目を引き継ぎ、Hijichoを去ります。今後もどうぞ、Hijichoをよろしくお願いします。

文責

加賀友基 (Hijicho)

Comments 2

  1. 小松俊博 (s36商卒) 返信
    12/02/17

    Hijicho大阪市立大学新聞は非常に意義があります。 大学の広報にも大手新聞にも載ってない大学内の出来事や市大生の活躍など沢山の情報、ニュースをHijichoから得てます。  
    Twitterも毎日見てます。 Hijichoに関係されてる方々皆さんに感謝申し上げます。

    小松俊博

    • 加賀 友基 返信
      12/02/17

      小松様

      Hijicho Webとあわせて、いつもコメントをお寄せいただきありがとうございます。
      来年度も後輩が頑張りますので、引き続きご指導よろしくお願いいたします。

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